2014/05/16

【私撰名馬物語#6】ケイウーマン

―器用貧乏であるが故に燃え尽きた青い目のオンナ―


競馬界において"外車"という単語が死語となって久しい。未だにエイシン辺りの外国産馬を"外車"と表現している語彙の更新の滞ったメディアもあるが、まるで"ゴムまり"並に古臭いなぁと感じてしまう。そろそろより一般的な"スーパーボール"に代えろと。そもそも、"ゴムまり"を古臭いとする意見自体がもう10年以上前から頻出している耳タコな意見なので、声高には言いたくないのだけど。でも、"スーパーボール"は商標らしいので、競馬メディアで形容詞として活用するのは難しいのかも知れないな…どうでもいいね。

話が横道に逸れてしまった。外国産馬の話だ。日本競馬の歴史を語る上でマル外やマル特(持込馬のこと)の不遇な処遇の話は外せないと言うか、お涙を頂戴するための定石に近い存在なのだけれど、その代表格であるマルゼンスキーとかリンドシェーバーといった(超)A級馬はともかく、ミュージックタイムやヒシマサル、そして今回ご紹介するケイウーマンといった一流半の馬たちまで「不遇な外車」と一面的に色付けするのは個人的にどうかと思うのだ。もちろん、彼らはローテーションを選択するのに制約を受けていたことは確かだし、ヒシマサルに関しては出走できてさえいればダービーでも掲示板はあった馬だと思う。でも、私が述べたいのはそういった待遇面の悲劇では無くて、彼らが数多ある名馬物語の上で単にマル外という記号としてしか扱われていないことがやるせないということなのである。その物語が短文ならまぁ仕方が無いとも言えるが、こと彼らに関しては紙媒体で数ページにも渡るようなお話でも「悲運のマル外」として一様に味を付けられているので始末が悪い。競馬ライターの方々や私を含む競馬ブロガーたちは、後世の競馬ファンに名馬の質感を語り継ぐ上で、もっと1頭1頭の個性についてじっくりと吟味し、直感的で安直な味付けの多用を避けねばならないのではないかと思う。

すっかり説教臭い序文になってしまったが、ケイウーマンの生涯について少々書かせていただきたい。彼女の唯一の重賞勝ちである京都4歳特別は、2014年現在では京都新聞杯の傍系の祖となり消滅してしまっている。この重賞がどんな位置付けであったのかと言うと、80年代は「ダービーへの東上最終便」といった趣のレースであったのだが、90年代に入ると「外国産馬の格好の餌場的中距離重賞」へと位置付けを変化させたレースなのである。年若い競馬ファンは知らないだろうが、1990年代以前はクラシックにマル外は一切出走出来なかった。そしてケイウーマンが勝った1993年当時はまだ"マル外のダービー"足るNHKマイルCが創設されていなかったので、多少距離が長かろうが斤量が重かろうがダービー前に開催されていたこのレースに外国産馬が集結する傾向にあったのだ。若き日の武豊騎手が素質を認め、それ故に競走生活の初期の主戦騎手を務めていたケイウーマンは、本質的にはスピードの勝ったマイラーでありながらも、ベストの条件と思われる桜花賞へ出走できなかった。何故か?外国産馬だからだ。もっとも、1993年4月当時彼女は1勝馬だったので、内国産馬であっても出走は難しかったかも知れないが…。

彼女の父であるラストタイクーンはいわゆるシャトル種牡馬の先駆けであった。豪州でデインヒルなどと覇を争い、日本にも外国産馬としてオースミタイクーンなどを送り込んだラストタイクーンであるが、後に本邦に輸入されてからは十人並みの種牡馬になってしまった感が強い。ケイウーマンはアイルランドで生を享け、下河辺牧場の下河辺俊行氏に現地のセリで見初められて"青い目の人形"ならぬ"青い目の牝馬"として輸入された(これこそ古臭い表現だな)。具体的な購入金額は分からないが、リヴァーマンの姪に当たる良血故にそのセリでの評価も相当高かったらしい。

外国産馬というと何となく海外旅行慣れしているイメージがあるが(私だけ?)、日本に来てから間も無くしてケイウーマンは環境の変化によるストレスからか具合が悪くなり、ガタガタの状態になってしまった、と下河辺俊行氏の弟の行信氏は後に語っている。それでも、関係者の尽力により立て直しに成功し、栗東の浅見国一厩舎に入厩後、3歳(旧馬齢表記)11月の京都開催でデビューを迎えることが出来た。

芝1400mと言う条件の新馬戦には武豊騎手を鞍上に迎えて臨んだ。結果は9馬身差のぶっちぎりV。しかも3歳レコードのおまけつきであった。血統の額面通り、期待通りの勝利だったのだが、デビュー勝ち後ケイウーマンはしばらく低迷期に入ってしまう。抽選で除外にあったり、適鞍が無かったりと思うようにローテーションが組めず、リズムが狂ってしまったのか自己条件でも人気先行の着順が続いた。3戦目のアーリントンCでグランドシンゲキの3着に入るなど随所で力は見せていたが、収得賞金が追加できなければ意味が無かった。

初出走初勝利からの4連敗。そして浅見師曰く「正直なところ自信なんか無かった」という京都4歳特別への出走。しかし、当時は押しも押されもせぬトップジョッキーであった武騎手がデビュー2戦以来に乗るということもあり、牡馬相手の同重賞でも4番人気の支持を得ることが出来た。1番人気はアーリントンCでケイウーマンとぶつかり先着されていた(2着)ラガーチャンピオン。続いて戸山厩舎の最終兵器・ドージマムテキとトニービン産駒でオープン特別勝ちのあるナリタファーストが人気になっていた。余談だが、同重賞には後の天皇賞馬・ネーハイシーザーも登録されていたのだが、左後肢フレグモーネのため出走取消の憂き目に遭っている。もし出走していたらケイウーマンとの激しい先頭争いが見れたことだろう。

「今回はハナに行ってやろうと思っていた」とは武豊騎手の弁。前回同騎手が騎乗したこぶし賞(2着)以来の逃げを打ったケイウーマンは、前半1000mが1分1秒8というマイペースで我が道を歩むことが出来た。そして直線に入っても全く脚色が衰える事無く、直線に坂の無い京都コースで悠々と逃げ切り勝ちを収めたのだった。2着はドージマムテキ。彼以外の内国産牡馬たちのダービー出走への儚い望みを外国産の牝馬が無慈悲にも断ち切る形となった。「デビュー時は気性がうるさかったが、今回は落ち着いていたし状態も良かった。今後が楽しみ」と武騎手は抱負を語った。

初重賞制覇。気性面の成長もあり、将来の飛躍が大いに期待されたケイウーマンは、当時"マル外のダービー"的役割を担っていたニュージーランドT4歳Sでトーヨーリファールの2着に敗れた後、CBC賞(当時はGⅡ)で古馬に挑戦したものの9着と惨敗し秋まで雌伏の時を過ごすことになった。そして秋の使われ方は壮絶であった。9月から10月にかけて出走した1400mのセントウルS(当時はGⅢ)に2000mのGⅢ・サファイヤSとGⅡ・ローズSで全て2着に入るという離れ業を成し遂げ、当時は2400mの4歳牝馬限定GⅠであったエリザベス女王杯に出て来たのだからビックリだ。エリザベス女王杯では秋3戦で手綱を取った武騎手が牝馬二冠馬のベガに乗るため田原成貴騎手に乗り替わりとなり、逃げバテて13着と惨敗を喫したが、「適距離に戻れば侮れない存在」という評価は依然動かなかった。そもそも彼女の適距離はどこなのか、という突っ込みもありそうだが、とにかく古牝馬として持込馬のニシノフラワーやマル外のシンコウラブリイといった一つ年上の先輩たちに迫る存在となる期待を懸けられていたことは確かだ。

しかし、12月のポートアイランドS(オープン特別)で1番人気でワイドバトルの2着に敗れた後、ケイウーマンは二度と馬券に絡むことは無かったのだった。年明けの金杯(西)から16連敗、しかもその間掲示板に載ることすら無いという不振っぷりであった。4歳時にマル外の便利屋として使われ過ぎた故の悲劇であったのかも知れないが、1999年の皐月賞2着馬のオースミブライトをはじめとしてラストタイクーン産駒は好不調の波が激しく、不振に陥ると長い傾向にあるので、使われようが使われなかろうがどっちみちこうなっていた可能性もあるだろう。ともかく、1996年2月の淀短距離S(降雪のためダート変更)で2.2秒差のシンガリ負けを喫したのを最後にケイウーマンは競馬場を後にし、下河辺牧場で繁殖入りしたのであった。29戦2勝という彼女の戦績は、彼女の苛烈且つ寂しい競走生活の後半期を物語っているように思えてならない。

繁殖牝馬としての彼女は非常に仔出しが良く、血統に恥じない成績を残している。代表産駒としてはダイヤモンドS勝ちのモンテクリスエスや札幌記念3着のマチカネキララが挙げられるだろう。また、4勝を挙げたトニーディアマンテやディープインパクトとの仔であるモンテエクリプスも個人的に印象深い。モンテクリスエスは非常にズブいステイヤーで、母親とは似ても似つかないカラーの馬であったが、ケイウーマンの資質の多様さを証明した1頭と言えるのかも知れない。

ケイウーマンやオースミタイクーンの活躍が呼び水となり、やがて父であるラストタイクーンが日本へとやって来た。しかし、桜花賞馬のアローキャリーを出したとは言え彼の日本での種牡馬成績はやや期待外れだった感がある。やはり日本と欧州の繁殖のレベル差が響いたのかも知れない。そんなラストタイクーンだが、キングカメハメハの母父として名を遺せたのは幸運であった。そして、その血を受け継ぐケイウーマンの名を将来名馬の血統表に見かけることもきっとあることだろう。1990年生まれのケイウーマン、彼女は繁殖牝馬を引退した今も日高の外館孝一牧場で健在だそうである。

ケイウーマン -KEI WOMAN-
牝 鹿毛 1990年生
父ラストタイクーン 母Friendly Finance 母父Auction Ring
競走成績:中央29戦2勝
主な勝ち鞍:京都4歳特別

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