2014/05/07

【私撰名馬物語#3】マイネルグラウベン

―頂を目指したマイネル一期生の出世頭―


なんやかんやあって今や凋落著しいフジテレビ。そのフジの競馬中継においてNHKマイルCが単に「マイルC」と呼ばれていた事実も、もはや忘却の彼方だ。筆者は"NHK杯世代"では無く、"NHKマイルC世代"の競馬ファンなのだけれど、1995年以前のフジの競馬中継ではNHK杯は何と呼称されていたのだろうか?という疑問がたった今ふと沸いた。もしかして「杯」か…?一昔前なら調査する術のない疑問である。だが、文明の発達は凄まじい。知りたいことはウィキペディアにアクセスすれば一発で分かってしまう。恐ろしいことだ。どうやら、ウィキペディアによると単に「ダービートライアル」と呼称されていたらしい。そうだよね、「杯」は無いよね。

さて、今日ご紹介する名馬はマイネルグラウベンである。"マイネル""マイネ"の冠名で知られるラフィアンターフマンクラブの初年度募集馬であり、1988年のNHK杯の勝ち馬だ。"最後のNHK杯馬"マイネルブリッジと比べるとやや知名度に欠ける馬だが、ラフィアン最初期の重賞馬故に岡田繁幸氏をはじめとした関係者の同馬に対する意気込みは半端なものでは無かったと言われる。日本を代表するホースマンの1人である岡田氏の当時の熱意を、少しでもこの記事によって伝えることが出来れば幸いである。

2014年現在、未だに成し遂げられていないマイネル勢による日本ダービー制覇。岡田氏のダービーへの思いの原点と言えば1986年のダービー準優勝馬・グランパズドリームだが、同馬の2着で岡田氏がダービー制覇を終生の目標にして以降、マイネル勢はダービーで馬券にすら絡んでいないというのは何とも皮肉な話だ。つまり、本稿の主人公であるマイネルグラウベンはダービーのトライアルレースのNHK杯を勝ちながらも本番では馬券圏内にすら入れなかったということなのだ。初めに物語の肝の部分の種明かしをしてしまったような気がしなくも無いが、ともかくマイネルグラウベンが「マイネルの馬は早くから走るがクラシックでは足りない」というイメージを形作った1頭であることは事実。そんな"典型的マイネル馬"のマイネルグラウベンの生涯とは、一体どのようなものだったのだろうか。

マイネルグラウベンは1985年生まれの牡馬、要するにサクラチヨノオー・オグリキャップらと同世代に当たる。父はエルバジェ直仔でアサヒエンペラーやビンゴカンタ、そして南関東の雄・テツノカチドキらの父として知られるコインドシルバー。同馬はシーホークと同じ父を持つが、シーホークがダービー馬を2年連続で出したようにスタミナと勝負強さに優れていたのに対し、コインドシルバーは母方の影響なのか中距離向きでここぞという時に勝ちきれない産駒ばかりを出した。母のメリーブラットは中央3勝馬で、その産駒には1987年の日本ダービー馬・メリーナイスの母のツキメリー(自身は南関東の重賞の東京3歳優駿牝馬を勝っている)がいる。つまり、マイネルグラウベンはダービー馬の年下のおじにあたるわけだ。同牝系からはあのシルクジャスティスも送り出されている。

静内の田原橋本牧場で生まれたマイネルグラウベンは出生時は非常に見栄えのする、どこに出しても恥ずかしくない馬であったという。だが、彼の幼駒時代にはこんな逸話がある。血統も良く、牧場主の橋本禎一氏にも「絶対に大物になる」と大きな期待を懸けられていた同馬だが、幼駒時代に更に成長するようにと筋肉注射を打ったところ、注射したお尻の部分だけゲッソリと筋肉が落ちてしまったという。それが原因で買い手がなかなかつかず、岡田氏が2歳(旧馬齢表記)の6月頃に買い入れるまでまるで売れなかったのだそうだ。もっとも、買われた頃にはお尻の筋肉はすっかり元に戻っていたらしい。この話は同馬がNHK杯を制した際に橋本氏が雑誌のインタビューで語った「重賞を勝った今だから言える話」である。ちなみに、岡田氏が同馬を買った決め手は「精悍な表情」であったという。

やがて発足したばかりのマイネル軍団の一員となったマイネルグラウベンは、1口110万円・総額2200万円の価格で募集された。そして長じるとグランパズドリームと同じ美浦の栗田博憲厩舎の門を叩くこととなった。デビュー戦は1987年10月の東京開催のダート1200m戦。このレースを岡部幸雄騎手を背に7馬身差ぶっちぎって圧勝すると、その勇猛果敢なレースぶりと立派な馬格から一躍「クラシック候補」の評判を得た。ところが、その直後に左トウ骨遠位端骨折が判明。全治6ヶ月の診断を受け、春クラシックへの出走が微妙な情勢となってしまった。

岡田氏は焦った。重賞馬ならともかく、1勝馬だ。トライアルへぶっつけのローテーションでは収得賞金的に出走すら叶わないかもしれない。さて、どうするか。そして決意した。「これは荒療治を施すしかない」、と。

当時岡田氏が懇意にしていた人物に、ある地方競馬調教師がいた。岡田氏はマイネルグラウベンの骨折について同師の指示を仰ぎ、所有するビッグレッドファームにおいてこんな"治療"を行った。まず、馬房に暗幕を張る。続いて引き綱で繋がれたままのマイネルグラウベンの骨折した患部を冷やし続け、飼い葉を極端に減らす。そしてそのまま体の手入れをしなかった。これらの"治療"は生き物が本来持っている生命力を呼び戻し、精神を鍛える効果を望むために行われたという。実際に荒療治の効果があったのかは判然としないが、体毛が伸び切り熊のようになったマイネルグラウベンは年明けには美浦へ帰厩することができ、帰厩から2ヶ月後の3月初めの東京開催(この年は改修のため春の中山開催が無かった)において戦線復帰が叶った。何と骨折からわずか4ヶ月半ほどで復帰したことになる。

復帰戦はダート1600mの条件で圧倒的1番人気に支持されたが、逃げバテて8着に沈んだ。1200mに距離を短縮した3戦目も2着に終わり、事実上皐月賞への道が閉ざされてしまったのだが、岡田氏の目は初めからダービーだけを見つめていた。そんな岡田氏の夢を乗せたマイネルグラウベンは4戦目をクビ差で勝ち上がり、ダービートライアルのNHK杯へとコマを進めることが出来た。

4戦目のタイムはダートの良馬場にしては悪くは無かったが、初芝・府中芝2000mでの15番枠という条件が評価を下げ、単勝の人気は26.4倍の10番人気に過ぎなかった。それに栗田師曰く「新馬戦時のデキが10とすれば、今回のデキは8」と調子も好調とは言えず、鞍上の蛯沢誠治騎手も「ダービーの出走権だけ取れればいい(当時は5着馬までが優先出走権を得られた)」と控えめだった。その上相手は強豪揃い。昨年の最優秀3歳牡馬のサッカーボーイに、チュニカオー・メジロアルダンの良血馬コンビ。そして2戦2勝のコクサイトリプル…おまけに素質ある巨漢の同朋・マイネルロジックがいたのだ。普通に考えれば勝ち目は無い。

そんな絶望的な情勢のNHK杯で、マイネルグラウベンは激走して見せた。外枠からスタートを決め加速すると、道中はややスローの流れを好位につけた。やがて直線に至ると16番枠のメジロアルダンと共に一気に伸びてマッチレースに持ち込み、ゴール前でアタマ差だけ前に出た。コクサイトリプルやサッカーボーイの追い込みは飾りにしかならないような、強烈な勝ち方だった。鞍上の期待を上回る快走であり、馬主の大望を繋ぐ激走だった。

キャリア5戦目にして重賞タイトルを手にしダービーへの切符を掴んだマイネルグラウベンは、1988年5月29日、予定通り本番の地・府中へと到着した。岡田氏にしてみれば、グランパズドリームで取り逃した忘れ物を取りに来たような心境であったことだろう。もう2着はいらない。ダービーの優勝カップを手にしたい…そんな望みを形にすべく、マイネルグラウベンは発馬機から栄光へのスタートを切った。

しかし、結果は残酷なものだった。スタートで出遅れてしまい、1コーナーで不利を受けるという最悪の出だしから鞍上の蛯沢騎手は必死に巻き返しを図り、外から積極的にダービーポジションへと位置取りを上げていった。だが、そこで脚を使ってしまったのか直線に入ると全く手応えが無い。距離不安が囁かれていた東の3歳チャンピオン・サクラチヨノオーが驚天動地の奇跡的な差し返しでメジロアルダンを制し真っ先にゴールへと飛び込んでから遅れること2.3秒、前哨戦でその2着馬を下したはずのマイネルグラウベンは20番手でゴールラインを通り過ぎた。完敗だった。

この惨敗で完全に燃え尽きてしまったのか、ダービー後のマイネルグラウベンは3戦していずれも掲示板に載れなかった。脚部不安から順調に使えなかったのも痛かったとは言え、れっきとした重賞ウイナーなのだから準オープンで負けては話にならない。引退後、新冠の浅川牧場で種牡馬入りした同馬だったが、重賞1勝程度の成績では人気も出ず、中央で勝ち上がった産駒は1頭だけ。お話にならない成績に終わり程無くして廃用になってしまった。余談だが、中央で勝ち星を挙げた1頭は岡田繁幸氏の実弟の岡田牧雄氏が所有していたその名もグラウベンという馬である。

岡田繁幸氏が一線を退き、今では息子の紘和氏へと代が替わったラフィアンターフマンクラブ。昨年もNHKマイルCを制したマイネルホウオウが飛び出し、同馬はダービーへと歩を進めたが、見せ場無く15着に敗れている。"マイネル軍団によるダービー制覇"がいつ達成されるのかは分からないが、子息の代になってもマイネル馬の特徴は変わらないようだし、今後も恐らくは変化は無いだろう。NHK杯馬・マイネルグラウベン。彼は過去、現在、そして未来のマイネル馬の肥やしとして、後輩たちの血や肉になっていくはずだ。

マイネルグラウベン -MEINER GLAUBEN-
牡 黒鹿毛 1985年生 1996年用途変更
父コインドシルバー 母メリーブラット 母父テスコボーイ
競走成績:中央9戦3勝
主な勝ち鞍:NHK杯

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