2014/05/23

【私撰名馬物語#9】セタノキング

―かみのやま競馬末期のスーパーオールドスター―


「ダイショウジェット(11)、地方競馬へ移籍!」

先日突如として報じられ、全国推定1億3000万人の競馬ファンたちを震撼させたこのニュース。日本中の交流重賞に550kgオーバーの巨体を揺らして出走しては、直線で後方から確実に脚を伸ばし三連系馬券ファンを一喜一憂させてきたダイショウジェットが、ついに地方競馬へと転籍するのだという。ダート1400mコースの交流重賞がこれほど似合う競走馬もそうはいまい。丸8年にも及ぶ中央競馬での現役生活において、掴んだ重賞タイトルは2011年のオーバルスプリント(浦和)の1勝に留まったが、新天地においても今と変わらぬ疾走っぷりを見せてくれることに期待したい。ただ、地方移籍が発表されてから2週間以上が経過した5月23日現在でも移籍先が公表されていないのが少々気になると言えば気になるが…疾走は歓迎だが失踪だけはどうかご勘弁願いたいところだ。

さて、4年ぶりの"ダイショウジェットのいないさきたま杯"が、今月28日に浦和競馬場でいよいよ開催される。いつの間にやらGⅢからGⅡへと格上げされていた同重賞(JpnⅡだろ、というツッコミは野暮なのでやめてね)。恐らくは、"進化する古豪"セイクリムズンを巡る一戦になるかとは思うが、穴党の私は人気薄の地方馬が突っ込んで来てはくれないかな…と淡い期待をつい寄せてしまう。それじゃあいざ温故知新、と言わんばかりに、過去全17回のさきたま杯のレース結果を漁ってみたのだけれど、馬券云々のデータとは別のある事実に気づき、ちょっとだけ心を動かされてしまったのだった。

さきたま杯のレースレコードを2014年現在どの馬が保持しているのか、競馬に一家言あるであろう読者のあなたはご存じだろうか?2009年・2010年と同重賞を連覇したスマートファルコン?違う。昨年の覇者・テスタマッタ?違う違う。もしかして"浦和の鬼"ことナイキマドリードかレイズスズラン?全然違う。ついでに言えばセイクリムズンやノボトゥルーでも無い。じゃあ、どの馬なのか?

セタノキング。この1991年生まれのキンググローリアス産駒の牡馬が、さきたま杯の栄えあるレースレコードホルダーなのである(ちなみに浦和ダート1400mのレコードホルダーも未だ同馬)。自称競馬玄人の方でも果たして覚えているかなぁ、この馬。1998年の半ばから競馬を見始めた筆者も、彼に関しては「ややお年を召した関東馬」という漠然とした記憶しか持っていない。まあ、その当時はまだ可愛げのある小学生だった私が、シブ馬のセタノキングの走りを鮮明に覚えているわけが無いのだけれど(トシがバレるぞ)。でも、調べてみたら物凄い馬だったんですよ。というわけで、第9回目となる今回はセタノキング翁について取り上げることにする。なお最初に断わっておくが、地方移籍後の資料が不足しているため後半の内容がいつも以上にスカスカなのはどうかお許しいただきたい。「俺(私)、セタノキングにまつわるこんな裏話を知ってるよ!」という方がいらっしゃったら、私へご一報をいただけるとちょっと嬉しい。

まず彼の血統を簡単にご紹介しよう。父は前述の通りミスタープロスペクター系のキンググローリアス。1986年生まれのキンググローリアスはサンデーサイレンスと同期に当たるが、SSが日の当たる米三冠ロードを歩んだのに対して、キンググローリアスは裏街道を驀進したために対戦歴は無い。初期はナムラコクオーなど芝馬もよく出していた彼だが、次第にダート専門種牡馬と化していき比較的地味なポストへと追いやられていった。それでも、晩年の傑作であるワンダースピードを後継種牡馬として残すことに成功し、2010年に現役を退いた後はJBBA静内種馬場でのんびりと過ごしているそうだ。母のオキノサヤカは栃木産の中央6勝馬。その父のサンフォードラッドはブラッシンググルームを経由しないレッドゴッド系の種牡馬で、現役時代はアベイユ・ド・ロンシャン賞を勝つなど短距離を中心に8戦7勝の成績を残した。セタノキングの兄弟にはこれといった馬はおらず、一つ下の半弟のミツワハリケーン(父スリルショー)が中央で3勝を挙げている程度である。

セタノキングの生産牧場の欄には門別の鍋掛牧場とある。鍋掛牧場は栃木県の名門牧場として知られ(旧名・なべかけ牧場)、ヤマブキオーやホリスキー、そしてメジロムサシといった古の駿馬たちを生み出してきた。門別産とあるのは恐らくは同牧場の支場で誕生したということであろう(ビワハヤヒデが福島産馬なのと同じ理屈だと思われる)。キンググローリアスの初年度産駒として産まれた彼は、2歳(旧馬齢表記)の頃安藤忠代士氏がセリで購入し、やがて美浦の嶋田潤厩舎へと預けられた。セリでついた値段は1400万円とのこと。新種牡馬のキンググローリアスの牡駒についたこの値段が高いかどうかは意見が分かれるところだろうが、最終的に彼は2億6千万円を超える賞金を稼ぎ上げる孝行馬となっている。

1993年9月11日、この日セタノキングは中山競馬場でデビュー戦を迎えた。同レースはダート1200mという条件で、田中勝春騎手が跨り3番人気の彼は、中団から1頭だけ別次元の脚を使い9馬身差で圧勝して見せた。文句のつけようのない勝ちっぷりと言えたが、勝ちタイムは翌週の新馬戦で外国産馬のヒシアマゾンが記録した1分13秒7よりもコンマ7秒遅い1分14秒4であった。

そのヒシアマゾンとはプラタナス賞(東京ダート1400m)でぶつかった。ヒシアマゾンの新馬戦がクビ差での勝利だったのに対してセタノキングの勝ちっぷりが派手だったこともあり、単勝の人気はそれぞれ5.2倍の3番人気と2.2倍の1番人気。なんと一時とは言えど歴史的名牝よりも馬券上の評価が高かったのだ。しかし、このレースでセタノキングは思わぬ落とし穴にハマってしまう。その落とし穴とは、出遅れ癖であった。年を重ねてからも彼を苦しめることになるこの悪癖は、プラタナス賞で見事に炸裂し彼は4着に敗れてしまった。ちなみに、このプラタナス賞を制したのは後の"女傑"ヒシアマゾンでは無く、新種牡馬・ミナガワビクトリー産駒のミツルマサルである。

束の間の栄光から一転、一敗地に塗れてしまったセタノキングであったが、プラタナス賞と同条件の500万下条件戦を難無く勝ち上がり朝日杯3歳Sへとコマを進めることが出来た。朝日杯では初芝ということもあり14頭立ての10番人気に過ぎなかったが、当時気鋭の若手であった蛯名正義騎手とのコンビで上位進出を図った。だが、ナリタブライアンの圧倒的な強さの前に成す術無く11着に沈み、以後蛯名騎手と共に芝で3戦するも7着、6着、8着(シンガリ)とまるで結果が出ない。こうしてクラシック戦線から完全に脱落したセタノキングは、1994年2月のレースを最後に放牧に出された。

復帰戦となったのは同年9月の利根川特別(中山ダート1200m)であった。新馬戦の圧勝劇から丁度1年が経過し、同じ舞台で田中勝春騎手と再起を目指したが、あえなく10着に敗れている。次走も見せ場無く10着に敗れたセタノキングだったが、気難しさを改善するためにブリンカーを装着し、嶋田潤調教師の実子である嶋田高宏騎手が乗り始めると成績は徐々に好転していった。やがて11月には900万下条件を卒業し、準オープンクラスに昇級してからも6戦して2着1回・3着2回と健闘を続けるなど、4歳秋~5歳春においての地力強化は著しかった。だが裂蹄などのアクシデントもあり、オープン入りは遅れに遅れ明け8歳までズレ込んでしまった。その間横山典弘騎手とのコンビで900万下条件戦を2勝し、1997年のマーチS(GⅢ)で5着に入るなど随所で素質を見せていたが、準オープンのレースはなかなか勝てなかった。

1998年1月、陣営はセタノキングを門松S(京都ダート1400m)に出走させた。2度目の関西遠征となった同レースでは強敵も多かったが、松永幹夫騎手に導かれ早め先頭の競馬から押し切っている。苦節33戦、8歳でようやくオープン入りを果たした瞬間だった。そして2月には、オープン特別の銀嶺S(13歳馬のミスタートウジンがサクラホクトオー・スピードオー父仔を9年掛けて下したと当時話題になったあのレースである)を制し、9月のさきたま杯ではテセウスフリーゼの2着に入る活躍を見せている。ここまで彼は7勝を挙げているが、そのうちの5勝がダート1400mで挙げた勝利で、さらにその5勝中4勝が東京での勝ち星と、"左回りのダート千四の専門家"足る存在と化していた。しかし、8歳となっても未だ気性の激しさは残っており、時折出遅れたり気分を損ねるとまるで走らなかったりと慢性的な弱点を抱えながらも、セタノキングはただ走り続けた。9歳の春には4歳春以来約5年ぶりに芝に挑戦。2戦して6着、8着と健闘し、賞金を咥えて帰ることに成功している。

1999年9月2日。デビューから6年ほどを経たこの日は、彼が生涯でもっとも輝いた日と言えよう。舞台は浦和のGⅢ・さきたま杯だった。4月下旬のオアシスS(8着)以来4ヶ月余もレース間隔が空き、銀嶺S以来1年半もの間勝ち星から見放されていたこともあり、前年の準優勝馬でありながらも中央勢の5頭中5番人気と評価は低かった。だが、鞍上には南関東のトップジョッキー・石崎隆之騎手が迎えられ、条件も得意な左回りの千四で馬体もスッキリと見せるなど、陣営はセタノキングに万全な体制を敷いていた。天候はあいにくの大雨となり、馬場は良馬場発表ながらも水を含み適度に締まった時計の早い砂馬場。この早い馬場が騎手の心理に影響を与えたのかどうかは分からないが、レースは中央のゲイリーアリエスと浦和のシバノコトエの激しい競り合いで芝レース並のハイペースとなった。1番人気のテセウスフリーゼは逃げ馬を追い掛けてしまったせいか直線で伸びを欠き、逆に出負けして道中後方から追走したセタノキングにとっては願っても無い展開に。4コーナーで逃げるゲイリーアリエスを捕まえたセタノキングはそこから一気に伸びて、2番手のパーソナリティワンを1馬身半差制しゴールイン。9歳にして初重賞制覇を飾った。石崎騎手は「楽に追走できたからね。4コーナーでの手応えで勝てると思ったよ」と勝因を述べた。勝ち時計は1分23秒8と従来のレコードタイムを1秒7も縮めるスーパーレコード。このレコードタイムは冒頭で述べたように2014年現在も未だに破られていない。余談であるが、この勝利は嶋田師にとっても調教師として中央地方を通じて初めての重賞タイトルとなったが、結果として調教師人生で唯一の重賞勝ちとなってしまうことになる。

得意な条件で素晴らしい快走劇を見せた9歳の老雄・セタノキング。年が明けて10歳になってからも銀嶺Sで5着に入るなど、彼はまだまだ意気盛んという感じであったが、3月の東風S(中山芝1600m)で軽ハンデを活かし5着に健闘した後、現役引退の話が持ち上がった。苦手な条件で好走したのに何故現役を退くという話が出たのかは不明だが、ともかくフィジカル・メンタル共に衰えを見せていなかった彼は、「もう少しだけ走らせてみよう」ということで2000年7月に公営上山の鈴木長一厩舎に移籍することになった。

今は亡きかみのやま競馬。上山プロパーからは超大物と文句無しに言えそうな馬は結局誕生しなかったが、2003年の廃止後に他地区に移籍したジーナフォンテンやミツアキタービンが交流重賞を制すなど活躍し、彼らの快走の噂を耳にした山形の競馬ファンは在りし日のふるさとを偲んだのだった。ダイコウガルダンやスルガスペインらが話題を集め興行収入が全盛を迎えたバブル期以降も上山には著名馬が度々移籍しており、あのツインターボが晩年やって来た時には大いに盛り上がったそうである。セタノキングが移籍した2000年頃もなかなかレベルが高かったようで、インターフラッグ(ステイヤーズS)やカガヤキローマン(東京盃2回)、セントリック(東京ダービー)にスノーエンデバー(重賞5勝)といった面々がセタノキングの戦績表に名を連ねている。鈴木長一厩舎には後にグランシャリオC(旭川にかつて存在した交流重賞)勝ちのヒダカリージェントが移籍し、二つ年上で1998年の門松Sで対戦歴のあるセタノキングと旧交を温めた。

こうしてかみのやま競馬に移籍したセタノキングに、鈴木師は驚かされることばかりであったと語る。「とにかく賢いし、丈夫で心肺機能がずば抜けている。全くもって凄い馬ですよ(鈴木師)」例えるならば"都会の進学校でついていけなくなり田舎の平凡な公立校に転校して再生した地頭の良い高校生"のようなものだろうか。新たに良き理解者を得たセタノキングは、水を得た魚のように蘇った。2000年秋は5戦して3勝。そのうちの1勝は上山版有馬記念と言われる樹氷賞(ダート2300m)であった。翌2001年の活躍はさらに素晴らしかった。9戦して7勝、樹氷賞を60kgを背負って連覇しただけで無く、10月には上山の交流GⅢ・さくらんぼ記念(ダート1800m)を鈴木義久騎手の手綱で差し切ってしまった。この勝利はかみのやま競馬所属馬史上唯一のグレードレース制覇である。旧11歳、新表記で10歳馬の激走に競馬週刊誌でそれを知った当時の私も度肝を抜かれたのを覚えている。11歳になるとさすがに衰えが見え始めたが、それでも2勝を挙げ2002年6月の酒田まつり賞(地方重賞)では5つ離れた半弟のセタノスター(父ソヴィエトスター)とのワンツーフィニッシュという驚きの快挙を達成している。

そんな彼も2002年12月の樹氷賞で8着に敗れた後は出走履歴が途絶え、2003年末のかみのやま競馬の廃止に伴いついに現役を退いた(ただし、競走馬登録自体は2004年11月まで残っていた模様である)。引退後の動静について詳細は不明だが、某競馬ポータルサイトの掲示板には「鍋掛牧場で元気に暮らしている」との情報が書き込まれており(数年前の情報だが…)、"優駿"の2001年8月号にも「引退後は鍋掛牧場が引き取り、栃木で乗馬として余生を過ごす予定」とあるので、恐らくは今でも健在ではないかと思われる。

以上がセタノキングの生涯である。ここまで書いてみてようやく気付いたのだが、冒頭で登場したダイショウジェットとセタノキングは特徴が似通っているようだなぁ。ダイショウジェットが今後どこの競馬場に所属することになるかは不明だが、上山においてのセタノキングのような大車輪の活躍に期待したいところだ。適性を鑑みると浦和や高知が合っていそうだが、個人的には浦和名物のT厩舎だけはやめてもらいたいと思っている(笑)。頼む競馬の神様、ダイショウジェットをどうか無事に引退させてやってくれ!セタノキングが待ってるぞ!(意味不明)

セタノキング -SETANO KING-
牡 栃栗毛 1991年生
父キンググローリアス 母オキノサヤカ 母父サンフォードラッド
競走成績:中央50戦7勝 地方29戦13勝
主な勝ち鞍:さきたま杯 さくらんぼ記念

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