2014/06/14

【私撰名馬物語#18】ディバインシルバー

―恩人穂苅にどうしてもあげたかった重賞タイトル―


以前過去の勝ち馬一覧を拝見した際にピンと来なかったので、実は北海道スプリントCについての記事は書くつもりが無かった。同重賞の歴代の覇者で一番印象に残っている馬は何と言っても2000年のオースミダイナーだ。10番人気、そして旧表記13歳での一発には大いに驚かされたし、エポックメイキングな出来事でもあった。だが、筆者は同馬についての資料を断片的なものしか所持していない上に、どう集めればいいのかも分からず書いたところで薄っぺらい記事になることは必至。2005年のハリーズコメットなども面白そうだったが、やはり紙媒体の資料に乏しく納得のいく記事を書くのは困難なように思えた。

表題馬のディバインシルバーは2004年に同重賞を制している。何故同馬について取り上げようと思い立ったかと言うと、歴代の勝ち馬の中でも数少ない実際に競馬場で目にしたことがある競走馬であるということを思い出したからだ。2002年8月の盛岡のクラスターC。このレースで彼は連勝街道を驀進するサウスヴィグラスにガチンコ勝負を挑み、ゴール前で3/4馬身差つけられ結果としてねじ伏せられた。その当時は年若く、多感な思春期を迎えていた私は、期待通りに勝者となり凱歌を上げた6歳(ここから新馬齢表記)馬サウスヴィグラスよりも、むしろ若き4歳の挑戦者・ディバインシルバーの食い下がりっぷりにシンパシーを感じたというわけだ。

クラスターCの頃の彼の主戦は22歳の穂苅寿彦騎手だった。後に不幸な事故に遭い、あえなく騎手生命を絶たれてしまうことになる穂苅騎手だが、デビュー5年目の2002年当時にはすでに騎手としてはかなり厳しい立場に追い込まれていたし、個々の騎乗が取り立てて目を引くようなジョッキーというわけでも無かった。ディバインシルバーはそんな崖っぷちの彼に対して師匠の和田正道調教師が用意してくれたメシアであったわけで、同時に一発逆転を図るための駒でもあった。果たして、師匠の思惑通りにディバインシルバーは穂苅騎手を救い、重賞タイトルを獲らせてあげることが出来たのだろうか?

ディバインシルバーは1998年生まれのアメリカ産馬だ。父のシルヴァーデピュティはデピュティミニスターの直仔で、カナダで2戦2勝・重賞勝ちは無しと現役時代の実績は無いが、種牡馬としてはシルヴァービュレットデイ(ケンタッキーオークスなど)らを送り出し成功を収めた。日本にはピイラニハイウェイ(浦和記念など)やアタゴタイショウ(函館2歳S)が入ってきている他、菊花賞馬・オウケンブルースリの母の父としても知られている。母のビーマイベイビーは日本でも馴染み深いオジジアン産駒であるが、産駒や近親にはこれといった馬はいないようだ。

やがて地味ながらも外国産馬の見極めが上手なことで知られる美浦の和田正道厩舎に入ったディバインシルバーは、2001年1月の中山開催の新馬戦(ダート1200m)でデビューしたが、中団から全く伸びずブービーに敗れた。だが、3月の同条件の未勝利戦を穂苅騎手を背に逃げ切ってすんなりと勝ち上がると、デビュー5戦目となる10月の雲雀ヶ原特別(福島ダート1000m)から翌2002年2月の橿原S(京都ダート1200m)まで3連勝。橿原Sで下した相手はその年の6月に帝王賞を勝つカネツフルーヴと次走から芝に転向し瞬く間にスプリント路線の頂点に立つショウナンカンプであり、2着のカネツフルーヴとの差はゆうに6馬身あった。

この関東所属の快速マル外は、穂苅騎手と共にいざダートスプリント路線を極めんと階段を足早に駆け上がる。オープン入り後の2戦はいずれも人気を裏切る結果となってしまったが、5月の栗東S(京都ダート1200m)でニホンピロサートを軽く捻り潰し、続く交流GⅢの北海道スプリントC(札幌ダート1000m)ではサウスヴィグラスには差されたものの、2馬身差の2着に粘り込み重賞でもやれるところを示した。次走のクラスターCは前述の通りサウスヴィグラスとのマッチレースとなり、前走と同様に必死に逃げ粘ったが最後王者に屈し重賞を獲り逃している。秋は中央で2戦、地方で1戦したものの勝つには至らず、暮れの兵庫ゴールドTで2着に頑張ったのを最後に、実りの多い2002年のシーズンを終えた。

翌2003年は1月のGⅢ・ガーネットS(中山ダート1200m)から始動したが4着まで。続く根岸S(この年は中山ダート1200mで施行)では珍しく中団からの競馬となり、ゴール前で外から差を詰めたが5着に終わった。同年3戦目のすばるSでも不完全燃焼な競馬で5着に敗れると、遂に穂苅騎手は降ろされて四位洋文騎手へとスイッチされた。前年の最終戦からどうも脚質転換を図っていたような節があるのだが、結局新しい試みが実を結ぶには至らなかったようだ。

四位騎手との初コンビとなった5月の栗東Sはクビ差で勝利を収めることが出来た。しかし、6月の北海道スプリントCで堪え切れずにサウスヴィグラスの3着に終わると、今度は中央に完全移籍して間も無い安藤勝己騎手が主戦に据えられた。そしてこの選択は吉と出る。8月のクラスターCで初めてタッグを組んだディバインシルバーと安藤騎手は、サウスヴィグラスが不在ということもあり7馬身ぶっちぎって勝ったのだった。しかもレコードのおまけつき。ここまで交流重賞を4戦して2着3回3着1回の成績を残していたディバインシルバーだが、なかなか重賞を獲れなかった憂さを晴らすかのような圧勝劇を演じてみせたのである。

クラスターCの勝ち方は一応は"逃げ切り"である。だが、今までのようなスピードに任せてぶっ飛ばすという一見爽快であるが単調な競馬とは違い、スタートをゆっくり出て2、3番手から徐々に先頭をうかがい、3コーナーでハナを奪うという味のある競馬による勝利であった。こんな競馬が出来るようになったのも、まさしく穂苅騎手が彼に我慢することを覚えさせたからあろう。騎手としてのデビューから間も無くしてある不祥事を起こしてしまい、騎乗機会を激減させた穂苅騎手にとって、自厩舎所属のディバインシルバーでの重賞制覇は再起を図るために必要不可欠なステップと言えた。結果的には安藤騎手に美味しいところを獲られてしまったわけだが、ディバインシルバーという名馬を形成する上で穂苅騎手の努力は欠かせなかったし、この馬に騎乗することで穂苅騎手自身が得たものも多かったことだろう。

歓喜のクラスターCの後ディバインシルバーは4戦したが勝てなかった。この4戦中3戦は1400mで施行されており、デビュー以来の勝ち星が全て1200m以下のレースでのものだっただけに、「ディバインシルバーは千二までの馬」という声が上がっても何とも反論のしようが無かったわけだ。その風評を払拭したのが2004年3月の高知の黒船賞(ダート1400m)での走りだった。当時「ノボノボ」と称された弥次喜多コンビのノボトゥルー&ノボジャックを得意の逃げで完封して見せたのである。コーナーで差を広げ、セーフティリードを作り上げてそのまま押し切るという内容は6歳にして完成したという印象を覚えさせた。次走のかきつばた記念ではスタートに失敗しマルカセンリョウの5着に敗れたが、6月の北海道スプリントCで再びノボトゥルーと対峙しスピードの差で押し切って見せた。秋には笠松のGⅢ・全日本サラブレッドC(ダート1400m)も制し、これで重賞4勝目。安藤騎手は病気療養明けと地元笠松での凱旋レースを飾った形となった。

2004年の黒船賞から2005年8月のクラスターC(2着)まで一貫して地方を行脚し続けたディバインシルバーだが、歴戦の古馬としてレース慣れしていたかというとそうでも無く、返し馬では動かず、ゲート入りではなかなか入らずと各競馬場で係員を手こずらせることもしばしばであった。これらの癖は時が経つに連れて徐々に改善されていったようだが、癇性の強さは年を重ねても消えなかったようである。それ故に、メンバーから見て好勝負確実というレースでも気分次第で馬券圏内にすら入れないこともままあった。そんなアテにならない気性が嫌われたのか、2005年3月の黒船賞で大敗を喫したのを最後に安藤騎手が鞍上から去り、その後しばらく主戦騎手が固定出来なかったのはどうにも痛かった。紆余曲折の末、2006年5月のかきつばた記念より穂苅騎手としてのコンビが復活したが、8歳馬となっていたこともあり全盛期のような粘り腰は影を潜め、得意の交流重賞でも逃げバテる日々が続いた。それでも、2002年から2006年まで5年連続でクラスターCにおいて連対したのは素晴らしい記録と言えよう(勝ったのは2003年だけだが)。2007年春には芝のレースに初挑戦し、ダートレースと同様の逃げっぷりで見せ場を作っている。

そんな老いてなお意気盛んだったディバインシルバーも、2007年8月の佐賀のサマーチャンピオンで10着に敗れたのを最後に戦列を離れ、翌年の正月に登録を抹消された。ニュースによると「ホッカイドウ競馬に移籍する」とのことだったので、復帰を心待ちにしたが結局競馬場に戻ってくることは無かった。どうも能力検定にパス出来なかったらしい。これほどの快速馬が地方競馬の能検に通らないと言うのも妙な話だが、相当脚の具合が悪かったのであろうか。引退後は去勢されて乗馬となり、現在は茨城県水戸市のライディングクラブウインズにて活躍しているという(乗馬名:メイプル)。

結果的にはディバインシルバーは穂苅寿彦騎手に栄冠を授けることは出来なかった。しかし、穂苅騎手が一時は騎手廃業寸前にまで追い込まれながらも、障害騎手として重賞2勝を得るまでに持ち直したのは、師匠の和田師の尽力やディバインシルバーでの派手な活躍によるところが大きいであろう。記録上はディバインシルバーは安藤勝己騎手のお手馬と言えるのだろうが、私の脳裏にある同馬の姿はいつもピンク色の勝負服を着た穂苅騎手と一緒である。ブログ上にて恐縮だが、現役生活を終えた二者(安藤騎手も加えれば三者か)の道行きに幸あれ、とささやかにエールを贈り結ばせていただく。

ディバインシルバー -DIVINE SILVER-
牡 栗毛 1998年生
父Silver Deputy 母Be My Baby 母父オジジアン
競走成績:中央25戦6勝 地方29戦4勝
主な勝ち鞍:北海道スプリントC クラスターC 全日本サラブレッドC 黒船賞

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