2014/06/21

【私撰名馬物語#21】ヒミツヘイキ

―さよなら最終兵器 from 船橋―


世間を席巻しているブラジルワールドカップも(日本代表にとっては)佳境に差し掛かって来た辺りで何の関係も無い更新である。今回取り上げる馬は2002年のユニコーンSの勝ち馬・ヒミツヘイキだ。同レースはちょうど日韓ワールドカップの最中に行われており、以前書いたサクラヴィクトリアの回よりもよっぽど話をサッカーに絡めやすいんじゃないかと言う気もするが、一度使ったネタにしがみつくほど私もヤワじゃあない(なんのこっちゃ)。いつものように世間の空気から隔絶されたような記事を徹底して書かせていただく。ちなみに、最初から最後まで地方所属を貫いた競走馬を取り上げるのはこのブログでは初めてのことだったりする。

件のヒミツヘイキ号は1999年に浦河の大成牧場によって開はt…生産されたダミスター産駒の牡馬である。ダミスターはトロットスターの父として知られるミスタープロスペクター直仔の種牡馬だが、本邦輸入前に仏ダービー馬のセルティックスウィングを送り出し自身も現役時代12ハロンで実績を残していたという事情から、フォーティナイナーらと同様に当初はミスプロ系らしからぬ距離の持つタイプとして期待されていた節がある。だが、日本での産駒はトロットスターをはじめとして短距離馬が多く、このヒミツヘイキも本質的には短いところが向くタイプであったという。母のジョーディアレストはメジロラモーヌが勝った1986年のオークスの5着馬であり、繁殖としてもヒミツヘイキを出した他、チューリップ賞勝ちのジョーディシラオキ(父オジジアン)を産んでいる。なお、勘違いされがちだが"ジョーディアレスト"は現役時代"ジョー"の冠名でお馴染みの上田けい子氏の所有馬だったので、"ジョー・ディアレスト"と切るのが正しい。母の父は二冠馬キタノカチドキで牝系を遡ると名牝シラオキに辿り着く。

母は現役時代中央の重賞で活躍したこともあり、シラオキ系出身と言うことも相まって繁殖牝馬として非常に期待されていたという。それ故に時代ごとの期待の種牡馬が宛がわれてきたが、産駒はどうしても小ぶりに出てしまい見栄えがしなかった。ヒミツヘイキの2つ上の半姉であるジョーディシラオキも例外では無く、牧場主の齊藤金吾氏も頭を悩ませる毎日が続いたのだそうだ。

そんな現状を打破すべく齊藤氏は思い立った。ジョーディアレストが1993年に産んだエブロスタイセイ(父エブロス)は東京3歳優駿牝馬2着の実績を残した馬であるが、馬っぷりの良かった同馬の配合から「ジョーディアレストとミスタープロスペクター系の種牡馬はニックスの関係にあるのではないか?」と齊藤氏は考え、1998年の種付けシーズンにミスプロ系のダミスターを付けようと決断した。こうして期待されて1999年の6月に生を享けたヒミツヘイキ。だが、遅生まれなこともあってかやはりどうにも線が細く、周囲の評価は芳しくなかったらしい。その上飼い食いも良くなかったので、当歳のセリでも買い手が付かず齊藤氏は途方に暮れてしまった。そこに颯爽と現れたのが中央競馬所属の田中勝春騎手の実父である田中春美氏であった。ヒミツヘイキの素質の高さを見抜いた田中氏は、同馬を買入れて自身が経営する育成牧場へと持って行き、調教を施した。田中氏の育成牧場ですくすくと育ったヒミツヘイキは、やがて2歳(新馬齢表記)になると公営船橋競馬の岡林光浩厩舎に入厩し、2001年の10月にデビューすることが出来た。

船橋競馬場で行われたJRA認定競走のデビュー戦は岡林厩舎所属の左海誠二騎手を背に逃げを打ち、8馬身差で勝利した。2戦目の野菊特別でこそ後に京浜盃や黒潮盃などを制すノムラリューオーに半馬身交わされて2着に敗れたが、12月の地方重賞・平和賞(船橋ダート1600m)を楽に逃げ切り、4着のノムラリューオーに雪辱を果たしている。これで3戦2勝。普通なら翌年5月の東京ダービーへの秘密兵器どころか、堂々たる有力馬として名が挙がるところであったのだが…。

実はヒミツヘイキには大きな欠陥があった。岡林師と左海騎手が口を揃えて話すその欠陥とは「右回りが苦手」ということ。どうにも片側のトモが弱く、歩き方も見るからに変だったのだという。この欠陥をカバーし、ヒミツヘイキに実りある現役生活を送らせるために、岡林師はその後も一貫してヒミツヘイキを船橋など左回りの競馬場のレースに使い続けた。そして、師の期待に応えるかのようにヒミツヘイキは名うてのサウスポーとしてのし上がっていくのである。

平和賞の後膝を骨折したヒミツヘイキは、4ヶ月半ほどの休養を経て翌2002年5月のB2下特別戦の五月会盃で復帰した。同レースで彼は初めて古馬とぶつかったが、終わってみれば2着に6馬身差つける圧勝劇を演じてみせた。この勝利にも陣営は右回りの大井で行われる東京ダービーへ全く色気を出す事は無かった。そして彼らが挑戦したのが中央競馬のGⅢであるユニコーンS(東京ダート1600m)である。左回りのマイル戦という条件は、純然たるサウスポーでダミスター産駒のヒミツヘイキには最適な条件であった。

だが、如何に条件が合うとは言えど、中央初挑戦の船橋所属馬を上位人気にするほど中央競馬のメンツの層は薄くない。6月1日のユニコーンSで1番人気に推されたのはダート5勝の実績馬のインタータイヨウであった。同馬は前走の兵庫チャンピオンシップでマル外の評判馬であるエストレーノ(ユニコーンS直前に疝痛のため急死)を下しており、実績で言えばこの面子の中では飛び抜けていた。2番人気には芝で2戦2勝のミッドタウンが支持されていたものの、概ね芝向きに出やすいデインヒルの産駒と言うこともあって適性を疑問視する声も。以下、ベンジャミンS勝ちのサードニックス、伏竜S勝ちのディーエスサンダー、2歳時にGⅡを制すもその後不振のシベリアンメドウと人気は続き、クーリンガー(重賞6勝)やアサクサデンエン(安田記念)、イングランディーレ(天皇賞・春)といった後に出世する馬たちも名を連ねていたが評価は今一つだった。そんなメンバーの中で当のヒミツヘイキは単勝20.7倍の7番人気だったわけだが、これはナメられているのか、それとも買い被られているのか…その問いの答えは締め切りから数分後に実に明確に出た。

逃げを打ったのは菊沢隆徳騎手が駆るサクラハーン。スペシャルストックやミッドタウン、クロノスシチーらがそれを追ったが、外から7枠14番のヒミツヘイキがまとめて交わして2番手につけた。人気のインタータイヨウは中団の外目につけて虎視眈々。そのままの態勢で直線へ。残り400mを切ったところでヒミツヘイキがサクラハーンに並んで先頭に。ヒミツヘイキは左海騎手のアクションに応えて坂下からグイグイと伸び、外からインタータイヨウが差を詰めに掛かるが届きそうに無い。インタータイヨウに2馬身の差をつけたままヒミツヘイキが先頭でゴールイン。左海騎手はガッツポーズ。離れた3着にはディーエスサンダーが入り、2番人気のミッドタウンはシンガリに敗れた。

左海騎手は同年4月のニシノハナグルマで勝ったフローラSに次ぐビッグタイトル奪取となり、岡林師にとっては初の中央重賞制覇となった。ヒミツヘイキにとっても得意の条件で重賞を獲れたのは大きく、その後の展開が大きく開けるということに陣営は胸をときめかせた。ユニコーンSの2日前の東京ダービーは伏兵キングセイバーが制していたが、2分8秒という遅い勝ちタイムにレースのレベルを疑問視する声が上がり、府中のマイルを1分36秒4というこの時期にしてはかなり速いタイムで駆け抜けたヒミツヘイキこそ南関東の3歳の大将だとする意見も多かった。いずれにしても、7月のジャパンダートダービーは右回りと言うこともあってヒミツヘイキは出走しない。9月の交流GⅠ・ダービーグランプリ(盛岡ダート2000m)。この左回りのレースこそが彼の真価が問われる舞台であった。

8月のA2下特別戦・千葉テレビ放送盃(5着)を叩き、予定通りヒミツヘイキはダービーグランプリへとコマを進めた。馬体重は前走からマイナス17kgだが、叩き台の前走がプラス22kgだったことを鑑みればむしろ上積みが見込める。単勝オッズ1.1倍と圧倒的1番人気のジャパンダートダービー馬・ゴールドアリュールは確かに強いが、こっちだって中央重賞馬だ。それに得意の左回り。正攻法で挑めば、きっと結果はついてくるはず…単勝7.0倍の2番人気に支持されたヒミツヘイキは、もう秘密兵器では無かった。まるで中央の王者に砲口を向ける船橋の最終兵器だ。GⅠにて対抗馬として果敢に王者に挑むという図式は、古典的ではあるが美しい。それがまさかあんな結末が待っていようとは、彼を推していたファンは戦前思いもしなかったのだ。

レースはスピードの違いで武豊騎手が乗るゴールドアリュールが引っ張る展開になった。ヒミツヘイキはそれを2番手でなんとか追いかける。が、3コーナーを前にして一杯になりついていけなくなって失速し馬群へと消えていった。それを尻目に先頭を行く王者は4コーナーで一気に馬群をちぎる。そして直線でもただちぎるだけ。そのまま馬なりでちぎり続け、2着のスターキングマンとの差は10馬身。みちのくの地で格の違いを見せつけた王者に対し、息を切らして頑張った対抗馬は8.3秒差の最下位で完走した。ただの完敗どころでは無い。言い訳もできない惨憺たる結果であった。

真っ暗な白昼夢を見た盛岡からお馴染みの船橋へと帰って来たヒミツヘイキは、11月の地方重賞・京王盃グランドマイラーズに出走したが5着に敗れた。続く12月の東京湾Cでも2着に終わったのだが、2馬身半差で1着のエスプリシーズより2kg斤量が重かったこともあって、陣営は悲観していなかった。ユニコーンSから8ヶ月ほどを経た2003年2月の報知グランプリC(船橋ダート1800m)。「前走と比べてはるかに状態が良かった」と岡林師が話すようにヒミツヘイキは絶好の状態で出走することが出来た。レースは昇り馬エスプリシーズとの4歳牡馬同士の一騎打ちとなったが、最後同馬の追撃を3/4馬身差だけ抑え込み久々の美酒に酔った。この待望の勝利に、岡林師は南部杯を最大目標にしたローテーションを設定した。悪夢の地・盛岡に、リベンジを果たすためヒミツヘイキが降臨する…南関の競馬ファンはそんな青写真を描き、ヒミツヘイキのレース出走を心待ちにした。"船橋の秘密兵器"が、名実共に"地方競馬の最終兵器"となる日が刻一刻と近づいているはずであった。

ところが、ファンが待てど暮らせどヒミツヘイキはレースに出てこなかったのだ。地方馬故に残っている当時の情報が少ないのだが、彼を苦しめた病魔は屈腱炎とも、大雑把に脚部不安とも言われる。2004年2月には好敵手のエスプリシーズが交流GⅠ・川崎記念を制した。しかし、それを凌駕する存在であるはずのヒミツヘイキはなかなか競馬場へと戻ってこない。

最後のレースから2年ほどが経過してから、突然「ヒミツヘイキ、復帰へ」との報が流れた。船橋の柿本政男厩舎→大井の堀千亜樹厩舎へと転厩を繰り返しながら、彼は戦線復帰を目指していたのだ。一時は能力検定をパスするほど態勢は整っていたのだが、紆余曲折あって結局復帰することは無かった。2006年2月14日付で地方競馬の競走馬登録を抹消された彼は、ある個人ブログの情報によると"アテ馬"としてオーナーの田中氏の牧場へと帰って行ったらしいが、もうすでにこの世にはいないとも言う。嗚呼、合掌。

「お前に会えてよかったよ、心底」 -さよなら最終兵器- by The Birthday

ヒミツヘイキ -HIMITSU HEIKI-
牡 鹿毛 1999年生 没年不詳
父ダミスター 母ジョーディアレスト 母父キタノカチドキ
競走成績:地方9戦4勝 中央1戦1勝
主な勝ち鞍:ユニコーンS

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