2014/06/04

【私撰名馬物語#14】ナリタオンザターフ

―2001年度「名は体を表さなかったホースオブザイヤー」―


いつの間にやら全国指定交流競走から外されていた東海ダービー(旧・名古屋優駿)。私のような中央競馬のレースを中心に観戦しているような競馬ファンにとっては、それを含有するダービーウイークとやらも何とも馴染みが薄い。地理的に最も親しみのある岩手競馬の岩手ダービーはライズラインが順当に制したようだが、同馬は岩手のオフシーズン時に南関東に移籍し2戦したものの全く振るわなかった馬(体調面の問題もあったようだが…)。忌憚の無い意見を言わせてもらえれば、これを見る限り現在の岩手競馬の地盤沈下っぷりは深刻そうだ。岩手の2歳ダート戦で無敵を誇ったワタリシンセイキが南関移籍後もそこそこ健闘していた頃はまだ良かったんだなぁ、としみじみと思わせられるものがある。そんな風評を払拭するためにも、ライズラインには全国区での活躍を是非期待したい。

当の6月6日の東海ダービーは名古屋の星・リーダーズボードが回避。馬柱をパッと見た限り、恐らくはリーダーズボードに次いで地元ナンバー2のドクターナイーヴと、中央からの転入後K沢で5戦して全てぶっちぎっているケージーキンカメの7枠両頭の一騎打ちになるのではないかと。筆者は例によってK沢競馬が大嫌いなので(あんな競馬が競馬の体を成していない地方競馬場も今時無いと思う)、地元馬に頑張って欲しいと思っているが、果たしてどうなるか。

冒頭で申し訳程度にイマドキの競馬に触れておくとして。今回の記事の主人公はその東海ダービーが交流GⅢの名古屋優駿だった頃の勝ち馬であるナリタオンザターフだ。彼は1998年生まれのアフリート産駒の牡馬である。名古屋優駿を勝っていてアフリート産駒で馬名がオンザターフ…プロフィールが色々と違和感を覚えさせる彼だが、当ブログで時折挟まれる"廃止重賞シリーズ"の内の一篇としては中々スパイスが効いていると思う。同馬は古馬になってからの出走履歴が無いため、普段と比べてお話がかなりサクサクっと終わるので(その上大したヤマも無い)、どうか肩の力を抜いてもらって気楽にお読みいただきたい。

ナリタオンザターフは1998年5月9日に門別の名門・下河辺牧場で誕生した。彼は1998年の桜花賞準優勝馬のロンドンブリッジ(父ドクターデヴィアス)の半弟に当たる良血馬である。要するに、ダイワエルシエーロ(オークス)やビッグプラネット(京都金杯など重賞2勝)らのおじというわけだ。父のアフリートは当初はゴールデンジャックやプリモディーネなど芝馬も出していたが、同系のキンググローリアスのように最終的にはダート一辺倒の種牡馬と化してしまった。ちなみに、「別にステイヤーじゃなかったホース」として知られる中央7勝馬のオースミステイヤーは同期で、所有していた馬主も一緒である(ただし、オースミステイヤーは後に法人へ名義変更)。

栗東の中尾謙太郎厩舎に所属した(もうこの時点で雲行きが怪しい)ナリタオンザターフは、良血故にPOGでも人気を集めていた。当時の某競馬雑誌を紐解くと、3歳(旧馬齢表記)馬特集のトップに名を挙げられており期待の高さがうかがえる。デビュー戦は2000年9月の阪神のダート1200m戦で、やや太め残りながら幸英明騎手を乗せて1番人気で完勝している。幸騎手は「芝でも大丈夫だし、距離が延びても不安の無い馬」とコメント。しかし、次走の白菊賞(京都芝1600m)では中団退の競馬でシンガリ負けを喫し、3戦目のポインセチア賞(阪神ダート1200m)をウォーターリーグ(中央6勝・種牡馬)に3馬身半差つけて圧勝するなど、3歳のうちから馬名に堂々と反抗する活躍っぷりを見せていた。これでオープン馬となった彼は、中1週で12月16日のシクラメンS(阪神ダート1400m)に出走したが、伏兵カチドキリュウの豪脚に屈し4着に敗退。4戦2勝(うちダート3戦2勝)の成績で3歳のシーズンを終えた。

翌2001年は3月のGⅢ・クリスタルC(中山芝1200)から始動した。同重賞ではダートで無傷の2連勝を遂げて来たケイアイシャイアンや、朝日杯4着のメイショウドウサンが人気になっていたが、前半3ハロンが33秒5という当時としてはかなりのハイラップに巻き込まれて共倒れ。勝ったのは中団待機のカチドキリュウであった。ナリタオンザターフはさらに後ろにつけて展開には恵まれたものの伸びを欠き9着。普通ならこれで芝を諦めるところだが、陣営は未練がましく阪神芝1400mのマーガレットSに出走させた。が、やはり伸びず14頭立ての12着に惨敗し、ここで遂にダートへ本格転向と相成った。

だが、待望のダート転向後も当初は中々結果が出なかった。4月22日の端午S(京都ダート1800m)では藤田伸二騎手が手綱を取ったが、イシヤクマッハから1.5秒差の7着に敗れ、続く5月の昇竜S(中京ダート1700m)では後方待機から良い脚を使ったもののナスダックパワーの5着に終わった。そして6月のGⅢ・ユニコーンSでもナスダックパワーの6着に敗退し、やや頭打ちとなったところで挑んだのが11日後の名古屋優駿であった。

この年の名古屋優駿は笠松出身で当時は中央所属のデイリー杯馬・フジノテンビーが単勝1倍台の1番人気に支持されていたが、同馬は前走から-10kgとかなりガレており、元・地元の東海地区での重賞とは言えど不安も大きかった。しかし、その他の中央勢もやや頼りない感があり、2番人気のマル外馬・ネバーキャッチミーは1900mという距離や名古屋の深いダートが怪しいし、5番人気のクリスタルC2着馬のシンボリスナイパーに至っては1400mまでしか連対実績が無かった。むしろ、4番人気で安藤勝己騎手が乗るフジノコンドルや、6番人気のワカオライデン産駒のセイエイカネノーといった東海所属馬の方が地の利も加味すると馬券的妙味があったと言えよう。そんなメンバーの中で幸騎手が騎乗するナリタオンザターフは3番人気に推されていたが、オープンでの実績がまだ無い上に距離や小回りコースにも不安があり、どうにも伏兵の域を出ないのは確かであった。

逃げを打ったのはセイエイカネノー。人気のフジノテンビーはスタートで躓いてしまった。フジノコンドルが2番手を追走し、ナリタオンザターフは道中4、5番手を進んだ。セイエイカネノーに率いられて小回りコースをぐるぐると周った12頭だったが、4コーナーで安藤騎手に導かれたフジノコンドルが先頭に立ち、後続を突き放していよいよ勝ちパターンに持ち込んだかに思われた。この時点でフジノテンビーは一杯となりもう圏外。やがて向いた短い直線を利して押し切ろうとするフジノコンドル。だが、外から抜群の手応えでナリタオンザターフが一気に詰め寄り、並ぶ間も無くフジノコンドルを交わすと最後は1馬身差で勝利を収めた。2着から6馬身離れた3着には最低人気のブラウンライアンが突っ込み、同馬の複勝は1650円と高配当になった。3→4→12番人気で決まったこともあって、当時3連単があればかなりの配当になったと思われる。

幸騎手は「馬が強かったです。小回りで内枠(1枠1番)というのが心配でしたが大丈夫でしたね」とコメントし、中尾師は「距離が長くなることはこの馬には決して良くないと思っていたのですが、幸騎手がうまく乗ってくれましたね」と騎手を労った。すんでのところで勝ち星をさらわれた安藤勝己騎手は、「勝った馬が強すぎた」とポツリと一言残している。

こうして見事な末脚で名古屋優駿を制し、3歳(ここから新馬齢表記)ダート路線に勝ち名乗りを上げたナリタオンザターフ。姉とは違った形で名声を高めた彼だが、これで愚弟と呼ばれることももう無くなった。だが、この年の同路線には1頭の怪物が存在していたのだ。彼の名はトーシンブリザード。南関東三冠を史上初めて無敗で制した歴史的名馬だ。そんな名馬と7月のジャパンダートダービーで雌雄を決することになったナリタオンザターフだったが、同レースを境にそれまではそれなりに順調だった彼の運命は、一気に暗転へと向かっていくことになってしまうのであった。

大井のダート2000mという、地方のダート馬にとっては極みとも言える条件でジャパンダートダービーは施行された。当然のように1番人気にはトーシンブリザードが支持され、単勝は1.0倍の元返しだ。怪物に立ち向かう中央勢は2戦2勝の未知の実力馬・バンブーシンバが一応の大将格となり、以下端午S勝ちのイシヤクマッハ、名古屋の覇者・ナリタオンザターフ、そしてダート路線へと本格的に転じて来たカチドキリュウと人気が続いた。しかし、例年と比べると中央勢がかなり頼りない印象は否めず、東京ダービーでトーシンブリザードに一蹴された地元馬のゴッドラヴァーがデザーモ効果もあって3番人気になるなど、ナリタオンザターフらには厳しい戦いが予想されていた。

そして予想通りと言うか言うまいか、結果は散々だった。名古屋優駿と同じ1枠1番からの発走となったナリタオンザターフは、枠順を考えると是が非でもスタートを決めなければいけなかったが、ゲート入りを嫌がった上にカチドキリュウと共に出遅れてしまった。そのまま道中もシンガリから追い掛ける展開となり、3コーナーを前にして幸騎手のアクションが激しくなりもう一杯一杯。石崎隆之騎手の手綱に応えて逃げ切ったトーシンブリザードから遅れること4秒5、ブービーのシングルトラックから8馬身遅れてナリタオンザターフは完走した。四冠馬の影を踏むどころか自らの名古屋優駿での走りの影すら踏めない、屈辱的な敗戦であった。

ジャパンダートダービーでシンガリ負けを喫した後疲れが見えたため、彼は笹針を打たれて自厩舎で待機することになった。しかし、待てど暮らせどレースに出走して来ない。復帰戦が熱望された彼を待ち受けていたのは、何と死神であった。翌2002年の2月26日の調教前に腹痛の症状を見せ、すぐさま開腹手術が行われたが症状が酷く手の施しようが無かった。「ナリタオンザターフ、腸捻転により死亡」これが彼の消息を伝える最後の報となってしまった。芝で3戦未勝利、ダートで8戦3勝の成績を残し、馬主の勝手で付けられた自らの名、そして運命に必死で抗った彼は、腸捻転という病魔に対しては衆寡敵せず呆気無く力尽きた。享年5。

ナリタオンザターフ -NARITA ON THE TURF-
牡 鹿毛 1998年生 2002年死亡
父アフリート 母オールフォーロンドン 母父Danzig
競走成績:中央9戦2勝 地方2戦1勝
主な勝ち鞍:名古屋優駿

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