2014/06/09

【私撰名馬物語#16】サクラヴィクトリア

―ソフトベッカムヘアーの中高生が街中に溢れていたあの頃―


ナメ過ぎた。私は人馬ともにナメ過ぎていた。ヨシトミも、ボスも三浦も、マイティも。

ここで僭越ながら時事ネタを使わせていただこう。土曜日に名物イベント"AKB48選抜総選挙"があったAKB48に例えるならば、まずジャスタウェイ&ヨシトミのコンビは総選挙1位の渡辺麻友だ。主要メンバー中数少ないスキャンダル処女で、実にベタでトラディショナルなアイドル像を守り続けて来たものの、なかなか突き抜けることが出来なかったまゆゆ。そして"届かない程度のゴール前強襲"という昔気質の人気馬像に近い芸風から完全に脱皮を図りたいジャスタウェイと、青森生まれの地味な公務員風ジョッキー・柴田善臣。三者ともそれぞれソロ活動で一時的に頂点に立ったことがあり、実力十分なのはファンに解されていても、歴代のスーパーヒーロー・ヒロインたちに匹敵するような超一流の実力者であるかどうかはまだ半信半疑といったところであった。

そんな彼らが、週末に府中と調布の舞台で遂に突き抜けた。梅雨時の長雨が降り続く中、馬群の真ん中を割って抜け出しを図る1番人気のジャスタウェイと柴田。だがその前を行く人馬が1頭。グランプリボス&三浦皇成だ。3年前の3歳ベストマイラーで、ナメられると激走する"GⅠ2勝の異端派"と、JRAの新人史上最多勝という実績以上に私生活から目が離せない三浦皇成。この2人は差し詰め度重なる炎上商法の末焼け太った"ニュータイプなアイドル"指原莉乃か。中間発表でトップに立ったさしこの如く粘り込みを図るグランプリボスに、色んな意味で断を下すべくインからジャスタウェイが食らいつく。内の勢いにたじろいだかゴールを前にして思わずよれるボスに対し、とにかくストレートに進んだジャスタウェイがまゆゆばりにゴール前差し切って見せた。最内からそろりとやって来て10番人気の3着は実力馬のショウナンマイティ。これはまさしく離れた3番手の柏木由紀だな。

前走からマイル路線に転じて5着のワールドエースは、SKEのWエースからそれぞれAKB・乃木坂兼任へと転じて結果を残した4位松井珠理奈&5位松井玲奈ということで。8着フィエロ&12着エキストラエンドの"ディープ産駒の永遠のセンター候補"は7位の島崎遥香に決まり。私が本命に推した9着馬のカレンブラックヒルは総選挙9位のリーダー・高橋みなみというよりも、むしろ宇野常寛のような"訳知り顔の自称評論家"にプッシュされるもイマイチ足りない13位の横山由依に近い気がする。唯一の3歳馬として期待されながらもブービーに沈んだミッキーアイルは、次代のエース視されながらも本番を前にして致命的なスキャンダルが飛び出して18位に終わった"みるきー"こと渡辺美優紀か。シンガリ負けの8歳馬レッドスパーダは着順通り17位の松村香織かな。

こうしてYSD記念…もとい、安田記念は柴田騎手とジャスタウェイの勝利で終わった。実力を見誤ってしまった、ナメていた、といった思いばかりが胸に去来する。競馬のレースを振り返るということは、AKB48選抜総選挙の結果の如きもの。その心は…どちらもひょう(評・票)が欠かせません。お後がよろしいようで。

人気アイドルの一イベントもそうだが、最近世間でホットな話題と言えば何と言ってもサッカーのワールドカップだ。生憎筆者自身はサッカーに全く興味が無いため、イマドキの流行りについていけないことウケあいなのだけれど。でも、アレですね。私の人生において一番印象的なワールドカップと言えば、やはり2002年の日韓共同開催のアレですよ。世の中ににわかサッカー通が溢れたアレです。トルコのイルハンや韓国のアン・ジョンファンといったイケメンスターが飛び出したあの大会なんです。というか、2002年のそれしか覚えてませんよ!(意味も無く逆ギレ)。

その2002年のFIFAワールドカップで最も話題を集めた選手と言えば、ドイツのオリバー・カーン…もまあそうだけど、一般ピープル的には何と言ってもデビッド・ベッカムだろう。端正なマスクに金髪のモヒカン頭。あのヘアスタイル、尋常じゃなく流行ったよねえ。私も当時ソフトモヒカンにしていた一人です。そして嫁が世界的スーパーガールズグループの元スパイス・ガールズのメンバーであるヴィクトリア・ベッカムと、プレーのことはよく知らんが、どこから切っても華やかな話題が顔を出す金太郎飴のような選手だった。

ベッカムブームは当時の競馬界にも波及した。アドマイヤベッカム(中央4勝)なんて話題になったよね。走りについては全然覚えていないけど。公営川崎にはその名も"ベッカムヘアー"なんて馬もいたそうだ。2001年生まれのハウスバスター産駒でデビュー戦は7馬身ぶっちぎったらしいけど、結局は下級条件で終わったみたい。2001年生まれってことは、デビューした頃にはもうブームが終わっていてお寒いことになってたんだろうなぁ…ボブビーストとか晩年のロイヤルキャンサー的なアレを感じるね。で、今日ご紹介する馬はその川崎で行われた2002年の関東オークスを制したサクラヴィクトリアだ。この馬の名が果たしてベッカムの嫁の名前から取られたのかはハッキリとしないが、広義の"ベッカムブーム便乗馬名"に入れてもいいかな?2002年の3歳牝馬路線にささやかにスパイスを加えた彼女の姿を、本当にささやかな規模の当ブログにて振り返ってみよう。

1999年3月31日、イングランドの…じゃなくて静内の新和牧場でサクラヴィクトリアは誕生した。父は"府中の鬼"として知られた名種牡馬・トニービン。母は中央1勝馬のサクラユスラウメで、その父はサクラユタカオーだから一見芝向きの血統という趣がある。祖母のセダンフォーエバーからはサクラプレジデント(札幌記念など)やサクラナミキオー(オールカマー2着)、サクラアルディード(現役・中央5勝)が出ており、曽祖母のサクラセダンはサクラトウコウ・チヨノオー・ホクトオー三兄弟を産んだ名繁殖牝馬だ。そんなファミリーの一員として生まれたサクラヴィクトリアは、言わばサクラ軍団のお嬢様と言える馬だったわけである。

このように芝向きのお嬢様と言った感じの背景を持つサクラヴィクトリアだが、預けられたのはダート路線志向で知られる美浦の伊藤圭三厩舎であった。そして、所属厩舎の風評通りにデビュー戦は2001年10月の東京開催のダート戦となった。蛯名正義騎手が跨ったこのレースでは単勝3番人気だったが、後方一気を決めて2着に3馬身半差つけ完勝。新馬勝ちを決めた。次走は翌2002年1月の呉竹賞(東京ダート1400m)。昇級初戦でありながらも、同条件で新馬勝ちしたことが評価されて単勝2.0倍の1番人気の支持を受けた。そして中団から抜け出して危なげ無く2勝目をゲットすると、いよいよ牝馬クラシック路線へと打って出るために陣営は2月のクイーンCへと照準を定めた。

だが、ダート2戦2勝の馬にとって牝馬クラシック路線の現実は甘くは無かったのだ。当のクイーンCでは1番人気のマイネヴィータに蛯名騎手を奪われ、替わって江田照男騎手が手綱を取ったが、後方から伸び切れず6番人気の5着に終わった。勝ったのは前で器用に立ち回った岡部幸雄騎手が乗るシャイニンルビーであった。このレースでの敗戦により阪神の桜花賞は難しいと判断されたか、桜を断念してオークスの前哨戦のフローラSに出走。しかし道中ほぼ最後方からの競馬となり、大外を周って突っ込んだもののやはり伸び切れずニシノハナグルマの5着に敗れ、オークスへの出走権を惜しくも逃してしまう。それでも抽選で出走できる可能性は残されていたが、伊藤師はオークスを回避し5月22日の交流GⅢ・関東オークス(川崎ダート2100m)へと出走させることを決断した。

この年の関東オークスの中央代表馬はサクラヴィクトリア、ミスイロンデル、マチカネテマリウタ、モレッタの4頭であった。このうちミスイロンデルは兵庫ジュニアグランプリを制した実績のある重賞馬であったが、芝路線に転じてからはやはりパッとせず距離も怪しいと、本命視するにはやや無理があった。マチカネテマリウタは菊花賞馬のマチカネフクキタルの半妹に当たる馬で、ダート短距離では非凡な素質を見せていたが、これも例によって桜花賞路線に挑み大敗を続けていた。サクラチトセオー産駒のモレッタは前走芝1400mで勝ち星を挙げていたものの、芝・ダート共に持ち時計はかなり遅く力不足な感は否めない。となれば大将格はダートで底を見せず、芝の重賞でも掲示板に載っていたサクラヴィクトリアと見て間違い無かったわけだ。

ところが、サクラヴィクトリアの関東オークス制覇には2つほどの高い障壁があったのだ。1つ目は公営船橋所属のラヴァリーフリッグの存在であった。同馬は道営から南関東へ移籍して以後ダートでは3戦無敗。前走の浦和桜花賞も楽に逃げ切っており、距離さえこなせば走破圏内にいると見られていた。2つ目は川崎競馬場の小回りコースだ。サクラヴィクトリアはトニービン産駒らしくやや不器用なところがあり、ここまで4戦は全て東京競馬場でのレース。したがって、「川崎ダート2100mというある程度器用さが要求される条件は合わないんじゃないか?」という意見が出るのは当然であった。その他、「深いダートが血統的に向くのか?」という血統背景に対しての疑問や、地元川崎所属の浦和桜花賞2着馬・サルサクイーンやクラウンC2着のグリーンヒルレッド、大井所属の東京2歳優駿牝馬2着馬・ベルモントピュアに、名古屋のニュージーランド産馬・キウィダンスといった面々が彼女の勝利を阻むであろう存在として挙げられていた。

日韓ワールドカップ開幕の数日前の関東オークス。1番人気に支持されたのはやはりサクラヴィクトリアで、単勝は2.3倍の1番人気。そして僅差の2番人気にはラヴァリーフリッグが推され、3番人気以下はやや離れてサルサクイーン、ミスイロンデル、マチカネテマリウタ、モレッタと続いた。

逃げを打ったのは内田博幸騎手とベルモントピュア。しかし、2番手にピタリと石崎隆之騎手が操るラヴァリーフリッグがつけ息が入らない。向正面から3コーナーにかけて逃げ馬を捕まえてラヴァリーフリッグが先頭に立つと、道中後方から蛯名騎手が仕掛けてグーンと上がって来たサクラヴィクトリアが外から襲い掛かる。やがて2頭は直線へ。夜の川崎競馬場のカクテルライトの下で一騎打ちの様相を呈したが、より長く良い脚が使えるサクラヴィクトリアに一日の長があった。直線半ばでバテる内のラヴァリーフリッグに対し、外のサクラヴィクトリアは伸び続ける。勝負あったか…と思われたが、さらに外から12番人気の地元馬・スターオブブリッジが突っ込み、クビ差まで詰め寄ったところがゴールであった。トニービン産駒は地方交流重賞初制覇(そして最終的にこれが唯一の勝利)2000年の開放以来、中央勢は関東オークス3連覇となった。

カーブでの不器用さを向正面で一気に仕掛けることでカバーした蛯名騎手のファインプレーによる勝利。秋にダート重賞路線、あるいは秋華賞路線へと向かう上でこの勝利の意義は大きかった。蛯名騎手は「ゴール前も余裕がありましたし完勝ですね」と余裕のコメントを残し、伊藤師も「調教でビシビシ追えていたので状態には自信がありました」と納得の勝利をアピールした。だが、伊藤師はこう続けている。「本質的には芝馬だと思います」…このコメント通りに、その後サクラヴィクトリアがダート戦に出てくることは2度と無かった。ダート通算3戦3勝。結果的に彼女は"幻の砂の女王"となったのである。

続く8月のクイーンSでは、勝ったミツワトップレディとハナ+ハナ差の接戦に持ち込み3着と古馬相手に結果を残した。そして迎えた実りの秋。伊藤師の言葉通りに芝路線を歩むことになったサクラヴィクトリアは、秋華賞トライアルのローズS(当時は芝2000m)へとコマを進めた。

この年の桜花賞、オークスはそれぞれアローキャリーとスマイルトゥモローという伏兵が制していた。桜・樫共に2着にも人気薄が突っ込んでおり、春の3歳牝馬路線には確固たる中心馬がいなかった。そこに彗星の如く現れた牝馬が1頭。彼女こそがファインモーションである。デビュー3戦全て圧勝したこのピルサドスキーの半妹は、秋華賞への出走権を得るべくローズSに出て来た。当然のように単勝1.2倍の圧倒的1番人気の支持を受けた彼女。重賞未勝利の条件馬に対して胸を貸す立場であるはずのサクラヴィクトリアは離れた3番人気であった。このレースについて詳しく書くのはどうも野暮な気がする。ということで簡単に書かせていただくと、直線ほぼ持ったままでファインモーションが抜け出して完勝。2着にはメンバーで一番の上がり(34秒7)を使ってサクラヴィクトリアが食い込んだが、実力の差は歴然であった。

無理矢理図式に当てはめるとすれば、世界の良血馬・ファインモーションVS日本の名血馬・シャイニンルビー&サクラヴィクトリアという構図が成り立った2002年の秋華賞。れっきとしたGⅠとは言え、1着馬以外はどうにも凡庸だったこのレースについても詳しくは振り返らないことにする。勝ったのはファインモーション。武豊騎手を乗せて余力たっぷりの勝利で、2着サクラヴィクトリアとの差は3馬身半に広がった。その差はどこまでいっても縮まる気配が無かったし、蛯名騎手が例えどんなに悪辣な手を使おうが勝てる気がしなかった。順調に行けばエリザベス女王杯で再戦ということになっていたのであろうが、秋華賞直後「疲れが出た」という名目でサクラヴィクトリアは放牧に出されている。件のエリザベス女王杯ではやはりファインモーションが古馬相手に突き抜けた。

翌2003年2月の京都牝馬S。競馬場へ帰って来たサクラヴィクトリアは武豊騎手を鞍上に1番人気に推されたが、スローペースに苦戦し末脚が鈍りハッピーパスの6着に敗れた。敗れたとは言えど希望の持てる内容ではあったので、サクラヴィクトリアには有馬記念で初めて土が付いたファインモーションを逆転するような活躍が依然期待されていた。ところが、2月の半ば頃に突然意外なニュースが飛び込んで来たのであった。

「サクラヴィクトリア現役引退。故郷で繁殖入り」

マエアツや大島優子の"卒業"なんて目じゃないレベルの衝撃であった。引退の理由については、怪我だとか繁殖として大事を取ったとか様々な憶測が飛んだが、結局明確な理由は示されず、それから11年を経た今もよく分かっていない。実に唐突な引退であった。これで繁殖牝馬として成功していればとりあえず万々歳なのだが、今のところ中央2勝馬を出すのがやっとと、実績・血統の額面通りの成績を残しているとは言い難い。それどころか不受胎や死産も多く、2013年に誕生予定だった仔(父エンパイアメーカー)も死産だったようである。

なんとも不完全燃焼な感があるサクラヴィクトリアの馬生だが、まだ終わったわけでは無い。巻き返しに期待したいところだ。そう言えば、ライバル?のファインモーションは実は両性具有だとかで産駒を残せないまま功労馬として余生を過ごしていると聞いたことがある。サクラヴィクトリアはそれに比べれば産駒を残せているだけまだ幸せだと言えるのかも知れない。ベッカムヘアーが流行ったあの頃からもう12年。またFIFAワールドカップの季節が巡って来たが、サクラヴィクトリアの"終わってみれば砂の女王伝説"を受け継ぐ牝馬は未だ現れず、ファインモーションの"終わってみれば普通の強豪牝馬伝説"の続きを受け持つ牝馬はもう永遠に現れることは無い。そして、桜花賞馬でローズS最下位のアローキャリーはもうこの世にいない。AKB48の面々を襲った刃傷沙汰はじきに忘れ去られようが、2002年牝馬クラシック世代のトップアイドルたちは得も言われぬ悲しみを帯びたまま、これからも生きていくのである。

サクラヴィクトリア -SAKURA VICTORIA-
牝 栗毛 1999年生
父トニービン 母サクラユスラウメ 母父サクラユタカオー
競走成績:中央8戦2勝 地方1戦1勝
主な勝ち鞍:関東オークス

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