2014/06/10

【私撰名馬物語#17】スーパーグラサード

―みちのく育ちの山三郎が浦河で聞いたナカノコール―


記事の冒頭からいきなりで恐縮だが、競走馬に関する疑問をちょっと書かせていただこう。

「競馬雑誌にて使われているような競走馬のキャッチフレーズやニックネームは、実際に競馬ファンが呼称として使用しているものと果たして同一なのか否か?」

例えばナリタブライアンなら「シャドーロールの怪物」で、テイエムオペラオーなら「世紀末覇王」。もっとシンプルなものならシンボリルドルフの「皇帝」とか…これらが現実世界の競馬ファンに銘々の呼称として本当に使用されていたのか?なんて問い掛けだ。

早々と問いについての自分の考えを書いてしまうと、まあ概ね"否"でしょう。結局のところ、これらは後付けの呼称の場合が多く、彼らの現役当時に実際にファンが呼んでいた名称とは乖離している場合が多いと思うんだよね。もちろん、雑誌や名馬系ムックなんかを読んで後から入って来たファンは「トウフクセダンと言えば"走る労働者"!」とか「"南関の哲学者"アブクマポーロ最強伝説」とか言って背伸びしてみることもままあるだろう。でも、ディープインパクトを現役当時に「英雄」と呼んでいた奴なんて見たことがないし、むしろセイウンスカイの「ウンス」とかゴールドアリュールの「ゴルア」とかファインモーションの…みたいなネット上での略称の方がイマドキの競馬ファンの実態に即しているような気さえする。その究極は「!!!!!!」かな。

これらを論ずるには"時代の移り変わりによる競馬ファンのコミュニケーション・コミュニティの変化"をまず考えねばならないのだろうが、ちょっとまどろっこしいのでそれは捨て置かせていただく。何故この項で冒頭のようなことを問うたのか?というと、今回ご紹介する1986年のエプソムCの勝ち馬・スーパーグラサードについて書かれた文献を読んでいて疑問を覚えたからなんだな。

当時の"優駿"や、名馬物語の類を読むとスーパーグラサードは決まって「野武士」と呼称されている。で、「野武士」ってのは地方から中央入りした強豪牡馬たちに対してかつて多用されていた呼称なんだよ。ハイセイコーも、若い頃のオグリキャップも全て「野武士」で片付けられていた時代が確かにあったということだ。でもね、もし手元にスーパーグラサードの姿が収められている写真があったら是非見て欲しいんだけど、彼は小柄な上に栗毛の三白大流星というハデハデな容姿の持ち主なわけで。この容姿に荒々しい印象のある「野武士」という呼称は明らかに似つかわしくないと思うんだけど…お前、野武士というよりまるで名古屋山三郎じゃねえかと(どうにも分かり辛い例え)。こんな事情もあって、競馬マスコミが使う呼び名と競馬ファンが使う呼び名は割かし乖離しているんじゃないかという結論に達したというわけ。

こういった事情から、昔の競馬雑誌に記載されているような大本営的情報を追うだけでは実感を伴った名馬の姿にはありつけず、同じ時代を生きた競馬ファンでなければ共感を得られるようなものは書けないのではないか?とちょっと悩んでしまっだ。実際問題として、どんな競馬雑誌であろうがあのゴールドシップがネット上で「ゴルシ」という細胞小器官の一つみたいな呼び名を付けられているとか、「!!!!!!」という記号の羅列はサクセスブロッケンを指しているとか載っているわけが無いのだ。ネット上の呼称をそのままリアルに持ってくる人間も今時は多いだろうしね。いっそよしだみほ女史の"天才ユタカの元気が出る競馬"みたいなその時代を映した競馬系同人誌でも手に入れない限り、名馬の実像には迫れないのか…?とか考えちゃったり。難しいッスね。お前一介のブロガーなんだからもう少し肩肘張らずにやれよ、とツッコまれそうだが。

まあ、考えても考えても結論が出るわけでは無い。"エアグルーヴが泥んこ馬場に泣いた1998年の鳴尾記念"から競馬を観戦し始めてもう16年になる私だが、「オールドファンの琴線に少しでも触れるような記事をちょっと背伸びしながら書きたい」という思いがあるわけだ。ということで、今後もスタンスを崩す事無く名馬の現役当時の資料を片手に自由に書かせていただきます。そして、いつかコミケあたりで会場の片隅に小さなブースを構えて、自作の名馬物語本を一冊ウン百円…いやウン十円ぐらいで投げ売りしたいな、とか小さな野望を携えてマイペースで頑張っていこうかなと。では気を取り直しまして、「みちのくの野武士」改め「みちのくの山三郎」スーパーグラサード物語、はじまりはじまり~

スーパーグラサードは1982年生まれの牡馬。したがってミホシンザン・シリウスシンボリ世代に当たる。父親は中央・地方を問わない気骨のある種牡馬として知られたミルジョージ。母親のグラサードは「ヒンドスタン最後の傑作」と言われたハクホオショウ産駒の中央未勝利馬だが、そのおじには1969年度啓衆社賞最良スプリンターのハクエイホウがおり、それなりに活力のある母系の下に生まれている。近親には1995年の東京ダービー馬・ジョージタイセイなどがいる。前述した通り、スーパーグラサードは馬体重が全盛期でも440kgほどの小柄な馬であったが、同じ父を持つジョージタイセイも同じぐらいの体格の持ち主であり、代表産駒のイナリワンといいミルジョージの仔は馬体のデカさで走るタイプでは無かったようだ(ただし、もちろん例外もある)。

門別の藤本幸治牧場で過ごした幼駒時代は素直な気性の普通の馬であったという。能力的には特に疑問符が付いたわけでは無いが、母の初仔ということもあってか3歳(旧馬齢表記)時の馬体重は410kgそこそことかなり馬格が小さく、馬主の「3歳時は無理をさせたくない」という方針から幾分相手の軽い岩手競馬でデビューすることになったのだという。後にスイフトセイダイなどを手掛ける盛岡の城地藤男調教師に預けられ、1984年5月に早々とデビュー。当地のトップホースの1頭であるミヤシロスズオー(後に中央入りし900万下条件戦を制す)らと盛岡&水沢で好勝負を繰り返しながら力をつけ、9月の4歳B2一般戦(3歳馬と4歳馬が混ざって走るといういささか無茶に思える条件だったらしい)で8頭立ての2着に入ったのを最後に、美浦の清水美波厩舎へと転厩し中央入りを果たした。岩手時代の戦績は9戦4勝2着2回。鳴り物入りでの中央入りというわけでは無いが、当時急成長を遂げつつあった岩手競馬の上級馬としての矜持を持ってやって来たことには間違い無いだろう。

中央緒戦は同年11月の黄菊賞(東京ダート1200m)で、中野栄治騎手が乗って4番人気の3着という結果であった。それから中一週で出走した東京芝1600mの白菊賞でも、初芝ながらも社台の快速馬・スクラムダイナの3着に食い込み力を示している。12月には東の3歳チャンピオン決定戦・朝日杯3歳Sに果敢にも挑戦し、3コーナーの手前まで先頭を守る積極策を取ったが、そこから大きくバテて11頭立ての最下位に敗れている。勝ったのはまたしてもスクラムダイナであった。

こうしてGⅠにて一敗地に塗れてしまい、身の程を知ったスーパーグラサードであったが、そこから中野騎手と共に地道にダートの自己条件を使い地力強化を図った。そして中央6戦目となる1985年2月の平場400万下条件戦(東京ダート1400m)を10馬身ぶっちぎって中央初勝利を挙げると、陣営は3月の弥生賞(当時はGⅢ)を使い、勝ったスダホークからは離されたが4着に頑張り皐月賞への優先出走権を得た。地味な経歴と戦績故に、本番の皐月賞では22頭立ての18番人気とまるで注目されなかったが、コーナーで不利を受け位置取りを大きく下げながらも最後差を詰めてミホシンザンの5着に健闘。ダービーへと望みを繋いだ。中野騎手が後に言うには「あの頃はまだひ弱い感じがあった」らしいが、この時点でも実力は相当なものがあった。しかし好事魔多し、大一番を前にして右後肢を骨折する憂き目に遭い、4歳の残りのシーズンを全て長期休養に充てることになってしまった。

骨折からカムバックが叶ったのは翌1986年2月の平場900万下条件戦(東京ダート1700m)であった。このレースでは逃げを打ったが結局差されて2着に敗れ、復帰戦を白星で飾ることは出来なかった。だが、GⅢのフェブラリーHへの格上挑戦(6番人気の9着)を挟んで、3月の中山の自己条件戦を2連勝し完全復活。そして4月のオープン特別の谷川岳S(芝1600m)で3着に入着し、昇り調子で5月のGⅢ・新潟大賞典(芝2200m)へと臨んだ。

皐月賞で矛を交えた同期たちは優秀な馬揃いであった。4着のブラックスキーが前年の福島記念を制したのを皮切りに、6着のスダホークが1月のアメリカジョッキークラブCと2月の京都記念を連勝、7着のトレードマークも同じく1月のダイヤモンドSを勝ち、11着のビンゴチムールは2月の目黒記念を制していた。それに加え、14着のロンスパークは3月の鳴尾記念を辛勝して重賞ウイナーとなり、最下位の22着だったドウカンテスコは短距離路線に転じて3月のスプリンターズS(当時はGⅢ)を勝って名誉を挽回。しかも谷川岳Sの2日後に開催された春の天皇賞では、皐月賞13着馬のクシロキングが岡部幸雄の好騎乗で盾獲りを果たすなど、1985年クラシック世代はなかなかに粒揃いと言えた。そんな面子を向こうに回して5着に入ったスーパーグラサードの陣営も、重賞を勝って目覚ましい活躍を見せている彼らに続きたいという思いを内に秘めていたことだろう。

5月の新潟大賞典では、翌年の秋天で13番人気ながら3着に食い込み驚かせるアサカツービートが56.5kgのトップハンデながらも1番人気に推されていた。中野騎手が跨ったスーパーグラサードは54kgの恵量もあってそれに次ぐ2番人気。それほど面子が揃ったわけでは無いが、実力伯仲の混戦模様と言った趣があった。

だが、結果は対抗馬の独壇場となった。赤いラインで縁取られた白いメンコで大流星を隠したスーパーグラサードは、若い頃から華麗なフォームで知られた中野騎手との絵になるコンビで逃げを打った。そして、当時は右回りだった新潟コースにて勇躍馬群を先導した彼らは、結局後続馬に影を踏ますことも無く、2着のナスノプリンスに2馬身半の差をつけてそのまま逃げ切ってしまった。4年後の府中において中野騎手がアイネスフウジンに跨って魅せたような、実に見事な逃げ切り勝ちであった。清水師はこれが5年目の初重賞勝ちとなった。

「今度は中央場所の重賞を勝っていいところをみせたいね」という清水師の言葉通りに、スーパーグラサードは返す刀で翌月のエプソムCに出走して来た。当時はハンデ重賞だったエプソムCで、前走で初重賞を飾った彼は56.5kgのトップハンデを背負わされた。しかし、そんな悪条件も勝利を阻む障壁にはならなかった。ハセノーザンらが作り出すハイペースを好位で追走した2番人気のスーパーグラサードだったが、直線で逃げ馬を捕まえると一旦外の1番人気のサガミテイオーに先行させながらも、中野騎手は慌てる事無くギリギリまで追い出しを我慢し残り200mを切ったところでスパート。そこからジリジリと差を詰め、ゴール前でクビ差サガミテイオーを離れた内から競り落とした。見た目は辛勝ではあったが、3.5kgのハンデ差がある2頭の実力の差は歴然としていた。

中野騎手は「今の充実ぶりならこれからが本当に楽しみです」と喜びのコメントを残した。この時点で清水師は次走について、「七夕賞をと考えていますが、ハンデがきついようなら使わないかも知れません」と語っている。だが、結局七夕賞を使ったことでスーパーグラサードの運命は大きく暗転することになってしまった。57.5kgの斤量を背負い馬場条件は不良と悪条件が重なった同重賞ではハナを切ったが、きつい条件と緩みの無いペースが小柄な馬体に祟ったか3コーナーで付いていけなくなり9着に沈んだ。続いて出走した9月のオールカマー(当時はGⅢ)では公営名古屋のジュサブローの力強い走りの前に立つ瀬無くブービー負け。この後2度目の骨折から長期休養に入ってしまい、翌年10月に復帰してからはすでに全盛期の力は無かった。それでも、1988年の東京新聞杯・中山記念ではそれぞれ3着・4着と何とか格好は付けたが完全復活には至らず、「余力のあるうちに」という判断なのか、同年4月に登録を抹消され古巣盛岡へと帰って行った。

こうして懐かしき故郷に錦を飾った上で、再起を図った7歳のスーパーグラサード。ところが、当時の岩手競馬はミスターボーイやローマンプリンスなど中央の実績馬の流入で急激にレベルアップしており、長きに渡る休養によりロートルと化していた彼の居場所はそこにはもう無かったのだった。以後岩手競馬で6戦したが3着が最高という結果に終わり、1989年7月の一般戦で1着馬から3.7秒離されてシンガリ負けを喫した彼は、遂に引退し浦河の高橋定代牧場で種牡馬入りした。

その当時はイナリワンやロジータの活躍が呼んだミルジョージブームの真っ只中にあり、GⅢ2勝の実績しか持ち合わせていないスーパーグラサードの種牡馬入りもそれなりに自然なことであったのだろう。だが、小柄な馬体が嫌われてか初年度の種付け頭数は5頭と、同期同父のジョージレックス(東京ダービー)やモガミヤシマ(NHK杯など)と比べても厳しいスタートとなってしまい、最終的に生涯で5頭の仔を残したが競走馬としてデビューが叶った産駒は皆無であった。時は下って1995年10月、彼は旧14歳の若さで死亡したという。死亡時の状況については伝わっておらず、どのような最期を迎えたのかは不明である。

記事の初めの方で私は彼を名古屋山三郎に例えたが、"絶世の美男"として知られ、豊臣秀頼の実父ではないかと囁かれたほどの色男であった山三郎と、種牡馬としては全く人気が無かったスーパーグラサードを同一視するにはやや無理があるのかも知れない。いずれにしても、あのアイネスフウジンに先駆けること5年前に、ハンサムな中野栄治騎手はダービーをこの馬で目指したわけだ。スーパーグラサードの背中に跨ってのナカノコールは幻となったが、同馬の引退から間も無くして中野騎手が日本ダービーを制したのは何か因縁めいたものを感じてしまう。1990年当時は現役を退き、遠く北海道の牧場にて種牡馬生活を送っていたスーパーグラサードは、果たして府中にこだまするナカノコールを耳にしたのだろうか。

スーパーグラサード -SUPER GURA THIRD-
牡 栗毛 1982年生 1995年死亡
父ミルジョージ 母グラサード 母父ハクホオショウ
競走成績:地方15戦4勝 中央24戦5勝
主な勝ち鞍:エプソムC 新潟大賞典

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