2014/09/01

【私撰名馬物語#27】ナカミサファイヤ

―小さな体に中身がぎっしり!ナカミ一族勃興の祖―


今週も中央競馬で行われる重賞は3つ。そしてこの第27回目で取り上げるのは日曜日に施行される新潟記念の勝ち馬だ。私生活の方が落ち着くまでしばらくは週1程度の更新頻度になるだろうから、書く方にしたら楽だが読む方にしたら多少物足りないと感じるかも知れない。だが、以前のような中央の全重賞について書くという縛りはやはり体力的・時間的負担が大きく、資料代も馬鹿にならないので、しっかりした生活の基盤が出来るまでは週に1話と決めて一作入魂の姿勢で取り組もうと思っている。応援よろしくお願いします。

先日の函館記念で歴戦の強豪たちをひとマクりでまとめて粉砕した5歳牡馬・ラブイズブーシェ。今回の主人公はこのラブイズブーシェの3代母のナカミサファイヤである。ノアノハコブネの項でもわずかに触れた個性派集団"ナカミ一族"の勃興の祖とでも呼べそうなナカミサファイヤは、彼女以降のナカミ一族の特徴をうっすらと形作った1頭とも言えよう。1990年生まれのナカミアンデス(中央7勝・中山芝2000mのレコードタイムを長らく保持していた)を最後に中村美俊オーナーの競馬界からの撤退もあってしばらく衰勢の一途を辿っていたものの、ナカミサファイヤの孫のフリソ(日本テレビ盃2着)やひ孫のラブイズブーシェなどの活躍により再び盛り上がりつつあるナカミ一族。一族の特徴や広がりについての詳細は後述するとして、まずはナカミサファイヤがどのような現役生活を送ったのかについてつらつらと書いていくことにしよう。

1976年生まれのナカミサファイヤの父は英2000ギニー馬のボールドリック。キョウエイプロミス(天皇賞・秋など)やカツラギハイデン(阪神3歳S)らの父として知られ、輸入前にも愛ダービー馬のアイリッシュボールを出した名種牡馬である。日本にラウンドテーブルの血を広めた功労者と言える同馬だが、種牡馬の父としては真打ちのキョウエイプロミスが失敗し、アイリッシュボールは輸入されるも散発的に活躍馬を送り出すにとどまり、カツラギハイデンに至っては種牡馬入り出来ずと、サイアーラインを繋げることは出来なかった。ただし、娘のナカミサファイヤやホクトヒショウ(ホクトヘリオス・ホクトビーナスらの母)が繁殖として成功を収めたため、2014年現在も競走馬の血統表の母方にボールドリックの名を見ることは可能である。母親のトシマサントスは中央1勝馬で、その父はムーティエと、血統表は全体的に気性の荒い雰囲気が漂う。

長じて美浦の八木沢勝美厩舎に入ったナカミサファイヤは、1978年11月の東京開催の新馬戦を大差勝ちしデビューを派手に飾った。手綱を取ったのは横山富雄(横山典弘騎手の実父)騎手であった。牝馬にしても非常に小柄だった彼女だが、動きは俊敏でその走りは高い素質を感じさせた。

だが、新馬戦以後の彼女は勝利の女神に見放されてしまう。暮れから年明けに掛けて関東の条件戦を4戦したが、芝でもダートでも最後のひと押しが利かず全て2着に敗れた。このもどかしい失態に痺れを切らしたのか、陣営は6戦目に重賞のクイーンC(中山芝1600m)を選択。鞍上もここで横山騎手から「アンちゃん」こと中島啓之騎手に替わった。このレースでは朝日杯3歳S(旧馬齢表記)3着の実績馬・シーバードパークとハナ差の接戦を演じたものの、やはり2着に敗退している。

馬主の中村美俊氏曰く「性格が弱いのが勝てない原因」というナカミサファイヤ。それまでの6戦の斤量52kgより3kg重い55kgを背負った4月のオープン特別・フラワーC(中山芝1600m)では10着に敗れ、デビュー7戦目にして初めて連を外した。同日に阪神競馬場で施行された桜花賞は大本命で単枠指定のシーバードパークを不良馬場を利した15番人気のホースメンテスコが逃げ切って下し、単勝の配当は4120円をつける波乱となっていた。こうして7戦1勝、2着5回という何とも形容しがたい戦績を引っ提げて、彼女は5月の大一番・オークスへと挑むことになった。

この年の牝馬クラシックの中心は前述のシーバードパークであった。だが、同馬は2400mという距離に不安があり、1番人気をリマンド産駒のアグネスレディーに譲っていた。アグネスレディーの鞍上は当時24歳の河内洋騎手。それまでビッグタイトルに恵まれていなかった河内騎手であるが、オークス制覇に向けて静かに闘志を燃やしていた。他の出走馬としては小島太騎手が乗るヴェンチア産駒のホクセーミドリ(アインブライドの祖母)や、騎手免許剥奪から復帰間もない蛯沢誠治騎手が鞍上のスパートリドン、毎日杯で落馬し福永洋一騎手の騎手生命を絶ったマリージョーイ、そして桜花賞馬のホースメンテスコが挙げられよう。ホクセーミドリとナカミサファイヤは前年11月のさざんか賞(東京芝1600m)でぶつかっていたが、前者に軍配が上がっていた。

山内研二騎手が跨ったマリージョーイが先手を奪い、ホースメンテスコはハナを切れずじまい。流れは明らかなハイペースとなった。うら若き4歳牝馬にとっては厳しい流れながらも、本命のアグネスレディーと河内騎手は落ち着き払って馬群の外を周り、4コーナーで仕掛けた。対して11番人気のナカミサファイヤと中島騎手は道中はほぼ最後方を付いて行き息を潜めながら漁夫の利を狙う。

直線に至ると、前を行く2頭と先団につけていたシーバードパークは全く伸びず、馬群へと沈んでいく彼女たちに代わってアグネスレディーが一気に突き抜けた。内からホクセーミドリがやって来たが届きそうに無い。このアグネス-ミドリの2頭で決まりかと思われた瞬間、外から386kgのナカミサファイヤが小さな体を目一杯に躍動させてぶっ飛んできた。だが、早めに抜けたアグネスレディーの優位は揺るがずそのままゴールイン。その2馬身半後ろをナカミサファイヤが、さらに3/4馬身後ろをホクセーミドリがそれぞれ2、3番手で駆け抜けた。

河内洋騎手は嬉しいクラシック初制覇。後に一大ファミリーを築き上げることになるアグネスレディーで見事に凱歌を上げた。一方の中島啓之騎手は1975年のソシアルトウショウ以来のオークス準優勝。中島騎手は1985年の初夏に癌で急逝するまでにオークスに幾度と無く挑戦したが、ナカミサファイヤでの2着を含めて3度の2着が最高という結果に終わっている。

3歳~4歳春を堅実に駆け続け、大一番で一世一代の豪脚を使いながらも栄冠を掴み損ねたナカミサファイヤはその豪脚の代償として屈腱炎を発症し、4歳の秋を棒に振ってしまった。復帰戦は翌1980年の5月にまでずれ込んだ。復帰当初の2戦は共に7着と結果を出せなかったが、7月末の朱鷺S(新潟芝2000m)で生涯7度目の銀メダルを獲得。復活への狼煙を上げた。そして次に彼女が歩を進めたのは、重賞で夏の新潟チャンプ決定戦の新潟記念であった。

この新潟記念で陣営は2つの新しい施策を試みた。1つ目はジョッキーを前走の横山富雄騎手から小林常泰騎手にスイッチすること、2つ目はブリンカーを着用することだ。小林騎手はそれまで300勝程度の勝ち星を挙げていた35歳の中堅ジョッキー(1980年当時の基準からするとベテランに入るか)。彼はナカミサファイヤの母の現役時代の唯一の勝ち星をこの新潟競馬場で共に得た騎手で、母も娘と同じ中村美俊氏が所有していた縁でこの起用となった。

斤量は51kgとハンデに恵まれたナカミサファイヤは、並み居る古牡馬たちを抑えて1番人気に支持された。このハンデは404kgの小さな彼女にとって恵量であった。初めてのブリンカーを気にしてか全くハミが掛からず、道中の位置取りは最後方とヒヤヒヤするレースぶりであったが、4コーナーでようやくエンジンが掛かると前を行くスパートリドンやセクレファスターらを一気に抜き去った。「勝てると思ったのに。何だいあの馬は。本当に最初から一緒に走っていたのかい」とは2着のスパートリドンの蛯沢騎手の弁。最後は2着に3馬身半差つけて優勝。約5年ぶりに重賞を制した小林騎手は「久々に重賞勝ちの感激を味わいました」と快心の笑顔を見せた。ナカミサファイヤが得た生涯2つ目の金メダル、それは他馬を一刀の下に切り伏せて獲得した重賞の金メダルであった。

しかし新潟記念でのワンマンショーを最後に、ナカミサファイヤの豪脚を競馬場で見ることは出来なくなってしまった。「これっきりこれっきり…」と名曲"横須賀ストーリー"で唄った山口百恵の芸能界引退と時を同じくして、新潟記念の直後に発症した脚部不安のためナカミサファイヤはこれっきりで競馬場を去った。故郷の森永孝志牧場(現・モリナガファーム)に帰った彼女は1984年にモガミとの間にナカミジュリアン(クイーンC)を、翌年にはトウショウルチェーとの間にナカミリーゼント(中央5勝)を産み、繁殖牝馬としても見事な活躍を見せた。また、妹のナカミジェンヌが産んだナカミアンゼリカは1985年のオークスで中島啓之騎手を乗せて2着に食い込んだ。中島騎手はナカミ一族の馬で2度に渡ってオークスのタイトルを掴み掛けたが結局掴み損ない、それから間も無くして肝臓癌のため身罷っている。

直線だけで20余頭をごぼう抜きにしたナカミサファイヤ、トウショウサミットと共に中島騎手の人生のラストを彩ったナカミアンゼリカ、そしてクイーンCでコーセイを下したナカミジュリアン。かつては彼女たちの活躍で日本の競馬界に存在感を示したナカミ一族であったが、アンゼリカ・ジュリアンの繁殖牝馬としての不振や、総帥たる中村美俊氏の撤退によりすっかり過去の遺物と化してしまった。かつて「ナカミの馬は4歳春(旧馬齢表記)まで」と関係者にまでその早枯れっぷりを揶揄されたというナカミ一族。しかし、同時に「牝馬に出ると強い」という特色を持っていたためか牝系は残り、やがてナカミサファイヤの娘であるナカミシュンラン(中央2勝)が産んだローリエ(中央2勝)から重賞ウイナーのラブイズブーシェが誕生した。ローリエはナカミサファイヤの血筋らしく非常に小さな馬で、初勝利を挙げた時の馬体重は386kgと祖母のオークス出走時の馬体重と全く一緒であった。ナカミ一族の「小柄・早枯れ・牝馬上位」の特徴は、利点だけ子孫に受け継がれ、欠点たる部分は徐々に消え失せつつあるということであろうか。当のゴッドマザー・ナカミサファイヤは1998年に用途変更となったが、彼女が携えていた"ナカミ魂"は今でも健在である。

※2015年2月20日追記:競馬月刊誌「優駿」によると、1999年より繋養地のモリナガファームにおいて新規に引退名馬繋養展示事業の助成を受け始めたとあり、同年までは確実に健在だったものと思われます。

ナカミサファイヤ -NAKAMI SAPPHIRE-
牝 黒鹿毛 1976年生 1998年用途変更(1999年まで生存確認)
父ボールドリック 母トシマサントス 母父ムーティエ
競走成績:中央12戦2勝
主な勝ち鞍:新潟記念

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