2014/10/01

【私撰名馬物語#35】アルファキュート

―馬名はキュート、走りはスリリングな道悪巧者―


今週日曜日のスプリンターズSにちなんだ名馬を紹介する前に、前座として不定期更新の"廃止重賞シリーズ"を一つ。9月&10月の廃止重賞と言うと、今は亡き上山競馬場で施行されていたさくらんぼ記念(GⅢ)や、金沢のサラブレッドチャレンジC(GⅢ)辺りが思いつく。4歳(旧馬齢表記)ダート三冠路線の大井のスーパーダートダービー(GⅡ)もいつの間にか消えてしまった重賞である。中央競馬で言えば、春に開催が移動した直後に福島牝馬Sへと様変わりしたカブトヤマ記念(GⅢ)に、秋華賞の新設に伴いローズSの開催時期が繰り上げられたことに関連して廃止されたサファイヤS(GⅢ)が著名だ。岩手のダービーグランプリは正確に言えば廃止重賞では無いが、今や交流重賞では無くなってしまったのでシリーズに加えてもいいかも知れない。

それらのうち、今回は旧4歳牝馬限定重賞のサファイヤSの勝ち馬から主人公を決定することにした。最近ではほとんど見受けられなくなったサラ系の重賞ウイナーである1988年のヤグラステラや、スカーレットブーケを完封した1991年のテンザンハゴロモといった若干面白みのある馬たちをまず候補として選定したのだが、資料が揃わず泣く泣く断念。その後手持ちの資料と相談した結果、1993年の勝ち馬・アルファキュートが書きやすそうだという結論に至った。競走成績を見てもかなりの個性派に思えるのでネタ的にも十分だろう。驚きの勝ち方でサファイヤSを制したアルファキュートとは、果たしてどんなカラーの牝馬だったのだろうか?

アルファキュートは1990年の生まれ。彼女の故郷は新冠の秋田牧場である。父のクリスタルグリッターズは1989年より日本で供用されたブラッシンググルーム産駒の種牡馬。本邦での代表産駒としては菊花賞馬のマチカネフクキタルや、帝王賞や東京大賞典、川崎記念など地方交流重賞を勝ちまくり、岩手のメイセイオペラとのライバル物語で知られた公営船橋所属のアブクマポーロが挙げられよう。なお、海外供用時にはアーリントンミリオン勝ちがありジャパンC3着のディアドクターを生み出している。初供用の年度から推し量れるようにアルファキュートは父の初年度産駒に当たり、その中で唯一の中央重賞ウイナーである。母のフジノシャークは秋田牧場が誇る優秀な繁殖牝馬。その産駒には京都新聞杯2着で後に種牡馬入りしたアルファジェス(父リィフォー)、北九州記念2着のアルファローズ(父ハイセイコー)、そしてスーパークリークが勝った1988年の菊花賞にて最低人気ながら3着に飛び込んだアルファレックス(父タケシバオー)がおり、交配相手を問わず活躍馬を送り出し続けた(ただし、アルファキュート以後に産んだ産駒は不振だった)。母の父のシルバーシャークはマンノウォーからレリックに至るラインの種牡馬で、父としてよりも母父としてオグリキャップ&オグリローマン兄妹を出したことで著名である、

長じて兄姉たちと同様に、"アルファ"の冠で知られる(株)貴悦(東京にある不動産関係の会社らしい)の持ち馬となったアルファキュートは、栗東の松永善晴厩舎に所属。そして4歳(旧馬齢表記)になってからの1993年1月末の京都開催にてデビューの日を迎えた。舞台はダート1800mの4歳新馬戦。調教の動きが良かったこともあって、この条件下で1番人気に支持されたが、抜群のスタートを決め逃げを打ちながらも終いバタバタになりクビ差の2着に終わった。次走の折り返しの新馬戦でも2着に甘んじ、3戦目もまたまた2着に敗退。気が良すぎて道中息を入れないところがあったためか勝ち切れない競馬が続いたが、それならと距離を短縮した4戦目(阪神ダート1200m)にて初勝利を挙げた。手綱を取ったのは松永師の義理の息子であるベテランの松永昌博騎手であった。

時はすでに3月も半ばに入っており、「桜花賞はダメでもオークスには何とか間に合わせたい」という意識からか陣営は4月の忘れな草賞、続いて月末のスイートピーSに出走させた。しかし、2戦とも逃げを打てずに番手からの競馬となり、弱点である詰めの甘さも露呈し3着に惜敗。収得賞金を追加できず出走権も得られずじまいだった。スイートピーSで敗れた後、アルファキュートは笹針を打たれて3ヶ月ほどの休養に入ることになった。一方、彼女の休養中に行われたオークスではベガがユキノビジン以下に力の差を見せつけており、秋に牝馬三冠の夢を繋いでいた。

復帰戦は7月の小倉開催の由布院特別(芝1800m)に決まった。春はどうにもパンとしなかったという彼女だが、夏を迎えて徐々に体調面も上向き始めた。由布院特別は未経験の重馬場で行われたものの、スローペースを利して後方を引き付けた逃げを打ち古馬勢を完封。見事に2勝目を挙げることが出来た。続く900万下条件の北九州市制30周年記念(小倉芝1800m)では逃げられずハナ差の2着に終わったが、続く8月の西海賞(小倉芝1700m)を単勝1.5倍の人気に応えて2馬身半差で逃げ切り3勝目を獲得。小倉での連日の快走で彼女は"夏の上がり馬"として頭角を現すに至った。

こうして完全に成績が軌道に乗ったアルファキュートは、勢いを駆って10月3日に行われるGⅢのサファイヤS(阪神芝2000m)へとコマを進めた。同重賞は同月24日のGⅡ・ローズS、そして11月の大一番・エリザベス女王杯(当時は4歳牝馬限定戦)へのステップレースである。他の出走馬にはマル外の快速馬・ケイウーマン(当ブログの第6話参照)や、デビューから無傷の3連勝を遂げているトニービン産駒のベストダンシングがおり、決して弱いメンツとは言えなかった。とは言え、春の女王・ベガは調整が遅れてトライアルを使えず、関東所属の強豪であるユキノビジンやホクトベガは同日裏のクイーンS(中山芝1800m)へと向かったという事情もあって、4歳牝馬の飛車角はここにはいない。加えて1991年の改修以来阪神競馬場の芝はやけに時計が掛かり、前年の宝塚記念にてメジロパーマーが2分18秒6という恐ろしく遅いタイムで逃げ切ったように、逃げ先行馬が残るパターンが頻繁に見受けられた。その上、11レース目のサファイヤSが始まる前の8レース目辺りから雨が降り始め、良馬場の発表でありながらも馬場状態はかなり悪化していたようだ。以上のような事情は道悪上手の逃げ馬であるアルファキュートにとっては、願っても無い好条件のように思えた。

1991年のサファイヤSを勝っている松永昌博騎手と3番人気のアルファキュートが元気よくハナを切り、レースは幕を開けた。2番手にはアローム(レインボーダリアの母)が付けて2番手評価のケイウーマンはその後ろ。1番人気のベストダンシングは馬群の内でジッとしていた。雨で上滑りする馬場ながらも、逃げるアルファキュートは道中全くノメるところが無かった。3コーナーでアロームが脱落し、代わって武豊騎手が外を回してケイウーマンがグイグイ差を詰めて来る。4コーナーを前にして2頭はほぼ並びかけたが、直線入口ではすでにアルファキュートは余裕の表情。外から内へと馬を持って行き必死に追う武騎手を尻目に、アルファキュートは実にスイスイと駆け抜ける。3番手以下はもう届きそうに無く、それどころか2番手のケイウーマンも離される一方。そしてゴールイン。2着を7馬身、3着のスーパータマモを14馬身ぶっちぎり、アルファキュートはGⅢ制覇を成し遂げた。松永昌博騎手と松永善晴調教師の父子はサファイヤS2勝目。このコンビは翌年もテンザンユタカで同重賞を連覇しており、4年間でサファイヤSを3勝したことになる。

松永師は「2着馬との7馬身差がそのまま力関係だとは思っていません」と控えめに語りつつ、「本物になったな。今のところは何も課題が無い」と愛馬を褒めちぎった。本番の2400mという距離への不安も同師は覗かせたが、松永騎手共々「距離については何とも言えないが、行くしかない」とまるで冒険者じみた抱負を語った。彼らの言う通り、1993年当時の4歳牝馬故にステップレースを勝った以上は、本番のエリザベス女王杯を目指す他無かったわけだ。

だが、迎えた11月のエリザベス女王杯では4番人気に推されながらも、田原成貴騎手&ケイウーマンの暴走じみた大逃げを2番手で拝まざるを得なかったことが災いし直線で失速。結果18頭立ての16着に沈んだ。勝ったのは「ベガはベガでもホクトベガ」。続くオープン特別のターコイズS(中山芝1800m)で同期のユキノビジンに屈し2着に敗れた後、彼女は調教中にトモを骨折し長い長い休養に出てしまった。

1年近い休養を経て、翌1994年11月のキャピタルS(東京芝1400m)にて復帰が叶い、プラス18kgと大幅に馬体重を増やしながらも彼女は逃げて3着に踏ん張った。しかし、同年暮れから年明けに掛けて3戦したものの12着、8着、11着とどうにも結果が出ない。休み明け4戦目の東京新聞杯では降雪のためダートに変更になったのが痛かったとは言えど、1着のゴールデンアイから4.9秒離されたシンガリ負けは率直に言って酷い。あの歓喜のサファイヤSから1年半ほどの月日が経過し、アルファキュートはすっかり勝ちに見放されてしまっていた。

彼女に久々の勝利の瞬間が巡って来たのは1995年2月のこと。舞台はGⅢの中山牝馬Sである。同期のエリザベス女王杯馬・ホクトベガや、上がり馬でオリビエ・ペリエ騎手が乗るサマニベッピンなどが顔を揃えたこの重賞で、GⅢ馬としては恵まれた53kgのハンデを背負ったアルファキュートはいつものように後方を引き付けた単騎逃げを打った。そして雪の影響で稍重となった馬場状態を利してホクトベガ以下を従えての逃げ切り勝ち。前半1000mが62秒0というスローペースも彼女に味方した。"スロー+重馬場+単騎逃げ"の条件が揃えば、彼女はいつでも快逃を見せることが出来たのだ。不振期も彼女を支え続けた松永騎手はレース後に「最後の坂で少しへこたれそうになりましたが、そこからよく粘ってくれました」と労いの言葉を掛けている。

結果論になるが、中山牝馬Sでの快逃劇が彼女の最後の輝きとなった。以後の9戦は逃げようが番手の競馬をしようが掲示板に載ることすら出来ず、翌年の中山牝馬Sにてプレイリークイーンの10着に惨敗したのを最後に、彼女は現役を退いた。引退後は故郷の秋田牧場で繁殖入り。そのスピードを受け継ぐような産駒の出現に期待され、2011年までに10頭の産駒を残したが大物と文句なしに言えそうな馬は現れずに終わった。やがて同年に彼女は現役時代の馬主である(株)貴悦が運営する栃木県那須町の貴悦牧場へと移動。そしてこの地で功労馬として今も草を食んでいる。今年で旧表記25歳になる。

アルファキュートの逃げは派手で爽快なものでは無かった。黒鹿毛で中背の馬体を目一杯に動かして先手を奪い、道中はスローにペースを落として馬群を引き付け、直線入口で突き放すという松永昌博騎手が乗っていた牝馬にありがちな戦法である。爽快では無いが、逆に言えば「いつ馬群に飲み込まれるのか」というようなスリル感のある逃げと言えるとは思う。彼女が挙げた5勝はいずれも逃げの手で得たものであるが、これらの勝ち星は松永騎手の好騎乗で得たという側面もあろう。だが、それは彼女の功績を汚すものでは決して無い。ジョッキーのアクションに即座に反応し、人馬一体の走りを見せたことは彼女の賢さや機敏さを端的に表し、いわゆる"ため逃げ"で勝ち星を得たことには彼女の我慢強さが表れていると言って良いだろう。サファイヤSで見せた強さは偶然では無く、必然である。例えそれが道悪による結果だとしても、彼女の栄光の姿は記憶され続けるし、汚れることは永久に無いのである。

アルファキュート -ALPHA CUTE-
牝 黒鹿毛 1990年生
父クリスタルグリッターズ 母フジノシャーク 母父シルバーシャーク
競走成績:中央26戦5勝
主な勝ち鞍:サファイヤS 中山牝馬S

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