2014/10/27

【私撰名馬物語#42】シンウインド

―昭和の末に吹きすさんだ黒い新風は、平成を越えて21世紀へ―


先週の富士Sの直前にマイネルシーガルのネタをせっせと仕込んでいたのだけれど、結局執筆が間に合わずあえなくお蔵入りとなってしまった。というわけで、42回目の今回は今週土曜日のスワンSにちなみ、1988年に同重賞を制したシンウインドが主人公である。苦難を乗り越えて重賞2勝を挙げ、タイトルを引っ提げ繁殖入りしたものの、初めはなかなか活躍馬を出せなかったシンウインド。そうこうしているうちに月日は流れ、老境を迎えた彼女が最後に産み落とした栗毛の仔馬は、彼女自身に対する評価を一変させた新しい風であった。本稿では、まずシンウインド自身の競走生活を当時の文献を参考にして振り返り、続いて引退後の彼女が辿った運命を描いていきたいと思う。

シンウインドは1984年生まれの黒鹿毛の牝馬。鵡川の市川学牧場で生を享けた彼女の父はギャラントマン直仔のウエスタンウインドで、母はテディ系のタマナーの娘で中央2勝のソロナエビスである。父のウエスタンウインドはアメリカでGⅠ3着が2度ある程度の二流馬であり、後にも先にも中央重賞を勝った産駒はこのシンウインドだけという一発屋種牡馬であった(地方重賞勝ちの産駒は数頭いる)。母は2番仔として1980年の函館3歳S(旧馬齢表記)を制したシンピロー(父オンリーフォアライフ)を産んだが、同馬を産んで以降は不受胎が続き、シンウインドを産むまで5年連続で不受胎と生産者をやきもきさせた。その後も不受胎が多かった反面、上手いこと受胎させればそこそこの仔を産み、中央勝ち馬を3頭出している。"スタミナとパワーに優れるボワルセル系×ヨーロピアンなステイヤー寄りのテディ系"という配合出身ながらも、父の父であるギャラントマンに由来する気の強さからかシンウインドは短距離が得意なタイプに出た。

6つ上に重賞勝ち馬がおり、血統的な下地は決して悪くは無い。ところが父が実績の無い種牡馬ということもあってか、2歳時にセリに出されたものの、全く声が掛からず主取りとなってしまった。セリでのお台は300万円とのこと。当時は馬産地バブルの前夜とは言えど、かなり安いと言い切れる額である。

シンウインドはその後、兄と同様に"シン"の冠名でお馴染みの林幸雄氏が所有し、同氏の馴染みの栗東の二分久男調教師の下に預けられた。デビューは遅く4歳になってからで、1987年1月末の京都開催の新馬戦(ダート1200m)が初陣となった。ベテランの岩元市三騎手が跨った新馬戦は13頭立ての9番人気に過ぎなかったが、スピードに任せて逃げ切り難無く初勝利を挙げている。

彼女は牝馬ながら馬体重は460kgとそれなりに馬格があり、飼い食いも良かったので成長が見込めた。だが、実は慢性的な裂蹄を持病として抱えており、寒い時期になるとよく蹄が割れてしまう。これには二分師も頭を悩ませた。そこで、症状が現れると比較的気候の穏やかな宮崎県の保養センターに連れて行き、体が固くならないように1日も休まずに乗り込んだ。このような陣営の努力の甲斐あって、若き日のシンウインドは休みがちながらも、いざレースに出走すると自慢の快速を見せつけて結果を残すことが出来たわけだ。

新馬戦で勝利を収めた後、裂蹄の症状が出てしばらく休養に出たシンウインドだが、秋の京都開催で復帰が叶い10月の条件戦(ダート1400m)を快勝した。これでデビュー2連勝。2度の美酒に気を良くした二分師は、当時は4歳牝馬限定戦だったGⅠのエリザベス女王杯(京都芝2400m)へと登録した。

ある程度競馬の知識のある読者の方ならご存知だろうが、1987年の牝馬クラシック世代は何を差し置いてもマックスビューティ、という世代である。関東の一番馬・コーセイを8馬身ぶっちぎった桜花賞。そして前走のオークスTRと同様にクリロータリー以下を一蹴したオークスと、春の牝馬二冠を余裕の競馬で完勝。前年のメジロラモーヌに続く2年連続での牝馬三冠馬誕生が大いに期待されたわけだ。このマックスビューティは秋も牡馬相手の神戸新聞杯とトライアルのローズSを続けて制しており、11月のエリザベス女王杯にて絶対女王として文字通り戴冠することにもはや誰も疑問を抱いていなかった。その証拠が本番での単勝オッズ1.2倍である。2番人気のダイナシルエット(ダイナガリバーの全妹)は8.8倍と、当然のことながらかなり人気に差がついていたのだが、実際問題として重賞未勝利で400万下条件戦を勝っただけのダイナシルエットに逆転を本気で期待したファンはどのくらいいたのだろうか?

そんな"究極美"という名の化け物に、芝未勝利のシンウインドは村本善之騎手とのコンビで果敢に挑んだ。ファンの評価は20頭立ての12番人気に過ぎなかったが、黒い馬体を振るわせて道中敢然と3番手につけ真っ向勝負を挑んだのだ。案の定と言うべきか、4コーナーまでは良い位置につけていたものの直線入口でスタミナが切れ、シンウインドは馬群に飲み込まれていった。だが、淀に詰め掛けた競馬ファンや遥か後方のシンウインドは、それから数秒後に信じられない光景を目撃する。外から進出したマックスビューティと相棒の田原成貴騎手が直線半ばで抜け出し、実況の杉本清アナウンサーが「今日は差が開く開く!」と煽りに煽った刹那、さらに外からやって来た4番人気のタレンティドガールが並ぶ間も無く一気に交わし、結局マックスビューティに2馬身の差をつけてゴールへと飛び込んだ。千代田牧場期待の"才媛"が"究極美"の絶対政権を打ち砕いた瞬間であった。

エリザベス女王杯で脆くも敗れ去ったマックスビューティは、以後敗戦を重ねて4歳春の輝きを取り戻せぬままに競馬場を去るわけだ。そしてそれとは対照的に、一度GⅠで踏み潰されたシンウインドはまるで雑草の如く強く育ち、やがて日の当たる舞台へ姿を現すことになる。12月の芝の条件戦で2着に頑張った後、翌1988年1月の若水特別(京都ダート1200m)を2馬身差で快勝し3勝目。それから間も無くして裂蹄のため再び休養に入ったものの、同年6月に復帰し準オープンの水無月S(阪神芝1600m)を完勝して見せた。次走のGⅢ・金鯱賞(中京芝1800m)こそ出負けして1番人気の11着に完敗したが、続く8月のマリーンS(函館芝1200m)ではデビュー2年目の武豊騎手を背にスピードの違いを見せつけ5馬身差で圧勝。勝ちタイムの1分8秒4は2010年7月にワンカラットによって破られるまで函館レコードとして輝き続けた。函館芝1200mという条件は、レース中の事故により早逝した兄のシンピローが重賞タイトルを手にした舞台でもある。

同年9月のGⅢ・朝日チャレンジC(阪神芝2000m)でも不慣れな距離ながらも前付けから踏ん張り、コースレコードで駆けたタニノスイセイの2着に健闘した。そして彼女の馬生のハイライトと言えるシーンがやって来る。10月30日のスワンSである。同重賞に武豊騎手とのコンビで挑んだシンウインドは、その圧倒的なスピードに期待を懸けられて単勝2.4倍の1番人気に支持された。2番人気には末脚自慢の関東馬・ホクトヘリオスが、3番人気には復活を期す西の古豪・フレッシュボイスが推されていた。この2頭は実績馬ではあるが、前者は主戦の柴田善臣騎手が前日に負傷したため西浦勝一騎手に乗り替わりとなり、後者は秋緒戦の毎日王冠で6着に完敗するなど不安な点も多くあった。このようにシンデレラストーリーを地で行くシンウインドが人気になる一方で、田原騎手に捨てられたマックスビューティは4番人気に甘んじていた。前走のオパールSにて約1年ぶりの勝利を挙げたとは言えど、倒したメンツ・勝ち方共に平凡であり、その名誉を回復するには至っていなかったのだ。すでにこの時点で、かつて天下を取った名牝と雑草少女の立場は完全に逆転していた。

武豊騎手がポンとスタートを決めてレースは始まった。外からハヤブサモンが、その内からはスカーレットリボンが飛び出したものの、青い帽子のシンウインドはさらに内を周って余裕で追走する。道中のペースはそれほど速くはならず、後方待機で末脚が身上のホクトヘリオスやフレッシュボイスにとっては苦しい展開だ。やがて3コーナーの坂の下りでスピードに乗ったシンウインドは、外を周ったマックスビューティと同じような位置につけ、先頭のスカーレットリボンに並び掛けた。ここまでのレースぶりはマックスビューティとほぼ互角。しかし、直線での伸び脚はまるで違った。武豊騎手がムチを振るい、内から伸びるミスターボーイに影も踏ませない強さで一気の伸び脚を見せるシンウインドに対し、田島良保騎手が跨るマックスビューティは好位からまるで伸びを欠く始末。こうして前半3ハロンが35秒6で後半3ハロンも35秒6というイーブンペースのスワンSを、5歳牝馬のシンウインドが2着のミスターボーイに2馬身半差つけ真っ先にゴール板を駆け抜けて制覇した。ミスターボーイからさらに3馬身差の3着にはフレッシュボイスが入り、ホクトヘリオスは末脚不発で6着に敗退。片やマックスビューティはシンウインドから10馬身ほど離された9着に敗れた。

まさに完勝と言えるレースぶりで強豪たちを蹴散らしたシンウインド。武豊騎手は前週のローズSに続く2週連続重賞勝ちとなり、さらに翌週の菊花賞もスーパークリークで制す離れ業を見せている。二分師はこの結果を受け、マイルチャンピオンシップへの挑戦を高らかに宣言した。かくしてキャリア10戦の短距離の新鋭が誕生した一方で、すっかりくすんだ同い年の"究極美"は完全に燃え尽きたということで引退&繁殖入りを発表したのだった。

スワンSを強い内容で制した後、重賞ウイナーとなったシンウインドは勢いを駆って武騎手の手綱でマイルチャンピオンシップに挑んだ。ところが出遅れ気味のスタートから巻き返すことが出来ず、勝ったサッカーボーイや2着のホクトヘリオスを相手に瞬発力の差を露呈してしまい4着に敗退。続く暮れのGⅢ・CBC賞でも14番人気の8歳牡馬・トーアファルコンの大駆けに屈しハナ差で惜敗した。年が明けて平成元年…1989年は2戦したものの、いずれも連対できずにあえなく敗れ、その後骨折が判明。勢いを削がれる形で彼女は1年以上に及ぶ長い休養に入ってしまった。

1980年代当時の普通の牝馬ならば、6歳の春に骨折した時点で現役生活を終え、牧場に帰って嫁入りするのが定石と言えるのだろう。しかし、シンウインド陣営はその道を選ばず復帰への道を模索した。時は経ち、やがて彼女は競馬場へと帰って来た。1990年3月、阪神競馬場のオープン特別・コーラルS。久々の復帰戦となったこのレースで2歳下の牡馬・ラッキーゲラン相手にクビ+クビ差の3着に健闘した彼女は、次走のGⅡ・京王杯スプリングCで7歳にして初めて関東に見参。南井克巳騎手が乗り4番人気に推された同重賞ではサクラフジオーが作り出したハイペースを好位で追走し、生憎の道悪馬場の中あえてインを突く好判断に応えて快勝。スワンS以来の重賞制覇を見事に飾った。本番の安田記念ではオグリキャップの豪脚に屈したものの前で踏ん張って4着。グランプリの宝塚記念においては果敢な逃げを打ち、結果10頭立ての8着に敗れたものの見せ場を作っている。また、7月のGⅡ・高松宮杯(中京芝2000m)でも彼女はその実力を発揮し、早め先頭の積極策でGⅠ馬のバンブーメモリー相手に2着に頑張った。トウの立った7歳牝馬ながらもここまで19戦とキャリアは少なく、2度の長期休養を乗り越えて老いてますます盛んであるところを見せていたのである。

このように7歳夏まで大活躍し、表現が適当かは分からないが"短距離路線のお局"として競馬場に居座り続けたシンウインド。だが、高松宮杯後の放牧から戻って来るとさすがに衰えは隠せなくなっていた。10月のスワンSでは2番人気に推されたものの、どうにもテンに鈍くナルシスノワールの6着に完敗。とは言えスワンSはあくまで叩き台で、本番では変わるかとも思われたのだが、マイルチャンピオンシップでもスタートダッシュがつかなかったのが響き8着に敗れた。続く暮れのスプリンターズSでも同様の競馬で6着に敗れ、翌年正月の金杯・西(京都芝2000m)で7着に終わったのを最後に、遂に彼女は現役を引退。門別の槇本牧場で繁殖入りすることになった。

繁殖牝馬としてのシンウインドの成績だが、初めは全く冴えなかった。初仔(父カコイーシーズ)は競走馬になれず、2番仔(父テューター)、3番仔(父ミスターシービー)はそれぞれ2戦未勝利・不出走という有様。それが4番仔のシンリズム(父リズム)が中央3勝を挙げ、東スポ杯3歳Sでキングヘイローの4着に入るなど活躍を収めた辺りから風向きが変わり始めた。1997年に産んだセトノウインド(父ジェネラス)は中央で4勝を挙げ、2003年に産んだカゼノコウテイ(父テイエムオペラオー)は中央の準オープンで馬券に絡み、道営転出後に当地の重賞の瑞穂賞を制した。

やがて月日は流れて2005年、旧表記で22歳の彼女が繁殖生活の最後に送り出したサマーウインド(父タイキシャトル)の活躍は目覚ましかった。中央2戦未勝利で兄と同じく道営に転出した後、好時計でワンサイドゲームを演じ2連勝。この連勝の内容が評価されて中央に復帰すると、そこから怒涛の走りで9戦7勝2着2回と結果を残し、2010年に船橋で行われたJBCスプリントを制してとうとうダートスプリント路線の頂点を極めた。それ以降は故障もあって冴えない成績が続いているが、新表記9歳となった2014年の今でも道営において現役を続けており、復権のチャンスはまだ残されている。不振期が思いの外長引いたこともあり、今後種牡馬入りするかどうかは分からないが、父と母両方の快速ぶりを受け継いだ良駒であるサマーウインドの血を、後世へと繋ぐチャンスを何とか与えてもらいたいものだ。

以上のように、末っ子のサマーウインドなどの活躍により繁殖牝馬としてのシンウインドは完全に名声を取り戻した感がある。当の彼女は2007年に繁殖を退き、後半生を送った槇本牧場で2歳下のファンドリポポ(オークスTRなど重賞3勝)らと共に余生を穏やかに過ごした。同牧場では時折2頭の寄り添う姿が見られ、非常に仲睦まじかったという。そんな老いらくの友情を育んでいた彼女たちにも別れは必ず訪れる。2013年7月にまずファンドリポポが死亡し、続いて同年の12月21日に後を追うようにシンウインドが死亡した。それぞれ旧表記28歳、30歳の一蓮托生での大往生であった。現役時代はあまり鞍上が固定出来なかったシンウインドであるが、最晩年になってようやく生涯で最もウマの合う相棒を見つけることが出来たようである。

シンウインド -SHIN WIND-
牝 黒鹿毛 1984年生 2013年死亡
父ウエスタンウインド 母ソロナエビス 母父タマナー
競走成績:中央23戦7勝
主な勝ち鞍:京王杯スプリングC スワンS

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