2015/11/19

【私撰名馬物語#58】ヘッドシップ

―忘れられかけていた穴男の、実に“らしい”初重賞制覇―


高山太郎、というジョッキーの名をあなたは覚えているだろうか。美浦・佐藤全弘厩舎所属(後年フリーに)。1994年3月デビューだから、現役の騎手でいうと吉田豊や幸英明らと同期になる。関東の大穴ジョッキーとしてデビュー以来3年ほどの間異彩を放っていたので、ある程度キャリアの長い馬券ファンなら記憶に残っているかも知れない。ポジションとしては現役の大庭和弥に近いような気もするが、イン突きを身上とする古風な佇まいの大庭と比べて、より現代的且つやんちゃな騎手という印象が高山にはあった。何しろ、活躍が顕著だった当時出版されたある書籍に「プリクラの達人」なんて記述があったほどである。うーん、現代っ子ですなぁ。

そんな特異な存在であったはずの高山だが、後発の活きの良い若手騎手を押し退けるほどの活躍は出来ず、時代が21世紀を迎える頃にはかなり影が薄くなっていた。これには師匠の佐藤全師の成績が低迷したことも影響しているだろう。高山は以後も細々と騎手稼業を続けたものの、やがて2010年1月に34歳の若さで鞭を置いている。結局は、デビュー年の25勝がキャリアハイとなってしまったわけだ。同じく穴騎手として頭角を現し、長い低迷期を経て近年再び小ブレイクしている中谷雄太のように、器用に立ち回れば何とかなったかも知れない。それも調教助手に転身した今ではたられば話に過ぎないわけだが。

今回ご紹介するヘッドシップは、2000年10月に施行されたGⅢ・カブトヤマ記念の勝ち馬である。そしてそのカブトヤマ記念は、高山騎手が生涯で唯一手にした重賞タイトルでもある。時代の流れによって廃止の憂き目に遭ったカブトヤマ記念。同重賞の長い歴史の末頃に誕生した、最も“らしい”勝ち馬がこのヘッドシップであり、実に“らしい”勝利ジョッキーが高山太郎騎手、その人であったのだ。

ヘッドシップの故郷は静内の稗田牧場である。同牧場は去る1996年にラフィアンの岡田繁幸氏に買収され、マイネル&コスモ(&ウイン)軍団の一施設・コスモヴューファームと名を変えている。1959年の秋の天皇賞と有馬記念を連勝したガーネツトをかつて生み出した名門も、ファミリーの長老格たる稗田敏男調教師が1995年に定年を迎えたのが影響したか、マイネル軍団の進撃に屈す形となったようだ。1994年4月に誕生した栗毛の牡馬のヘッドシップは、結果的に斜陽の稗田牧場の末期を飾る活躍馬となった。

通算戦績は62戦して5勝。そして唯一のビッグタイトルはマル父重賞のカブトヤマ記念と、数多い歴代中央重賞勝ち馬の中でも、地味さにかけては一二を争う存在と呼べるヘッドシップ。だが、意外にも彼の血統は客観的に見てそう悪いものでは無く、むしろ「内国産のエリート」に近い。父はノーザンテーストの最優良後継種牡馬として名高いアンバーシャダイ。母のヒダクロスは現役時に重賞入着歴のある馬であり、繁殖としても中央で9戦5勝・毎日王冠3着などの戦績を残し種牡馬入りしたボールドノースマン(父ノーアテンション)をすでに産んでいた。他にもオープン特別勝ちのあるコクサイクラウン(父リィフォー)や、サファイヤS3着のテンザンタカネ(父ノノアルコ)を出していたヒダクロスは、19歳(旧馬齢表記)の春に14頭目の仔としてヘッドシップを産み落としたのであった。父がアンバーシャダイで母父がファバージという血統は、2015年の今振り返ってみると古風な印象を受ける。しかしSS旋風が吹き荒れる前夜の1994年当時としては、そこまで時代遅れというわけでも無いであろう。

まさしく白眉と呼べる血統通りに、牧場に居た頃のヘッドシップは「同世代の中では目立つ存在でした。細身で背が高いという感じでしたが、綺麗な線をしていて、雰囲気のある馬でした(稗田牧場・稗田雅巳氏:談)」となかなか評判が高かったという。2歳時の育成の段階に入る時期にケガをしてしまったというが、幸いにも致命傷には至らず、美浦の佐藤全弘厩舎の所属馬として1996年の8月にデビュー。オーナーは(株)テンジンである。

入厩当初から佐藤全師の期待も高かったというが、3歳時のヘッドシップは芝で8戦して勝ち星無し、5着が最高着順と全く振るわなかった。佐藤全師の弟子である高山太郎騎手も4度乗ったものの、結果は全て2桁着順に終わっている。4歳になってからも逃げたり追い込んだりダートを試したりと、陣営は試行錯誤を繰り返したもののなかなか勝てない。体質的なひ弱さと、母に由来する気ムラさ。これらのウィークポイントが、素質ある彼の初勝利をますます遠のかせた。ようやく初日が出たのは1997年5月の4歳未勝利戦(東京芝1800m)。7番人気を裏切っての初勝利であり、パートナーはベテランの坂井千明騎手であった。ここまで13戦を要したが、遅咲きのアンバーシャダイの息子で優秀なバックボーンを誇るだけに、将来大化けする目も未だ否定できなかったはずである。

同期で同じ馬主が所有するワシントンカラーは、1997年春時点ですでにGⅢ・クリスタルCなどを制す活躍を見せていた。名門・松山康久厩舎と中堅以下の佐藤全弘厩舎、マル外の芦毛馬とマル父の栗毛馬、そして重賞ウイナーと最下級条件馬。2頭の世間的な評判の隔たりはあまりに大きかった。それでもコツコツと走り2勝目を目指したヘッドシップであったが、なかなか成績は上向かない。初勝利以降10戦0勝で4歳のシーズンを終えると、冬季の休養を経て1998年4月より戦線に復帰した。道中どこからでも動けるという脚質の器用さは魅力的。しかし、十分に時計の掛かる馬場で上がりの掛かる展開で無いと上位進出すら困難であり、ダートも上手くは無かった。

「わからない馬なんだよ。調教でね、やっとこっちの気持ちが通じるようになったぞって喜ばしてくれるんだけどさ、レースになって、よしっ、ここからだと追いたいんだが、ヤーメタっていう感じで真剣にならないんだ。勝つのが嫌いみたいなんだな」

4歳春の初勝利からほぼ一貫して主戦を務めた坂井騎手はこう語っている。結局2勝目を挙げたのは6歳秋の蔵王特別(福島芝2600m)でのこと。早め先頭から押し切るという強い勝ち方ではあったが、タイムは2分52秒4と非常に遅かった。それもそのはず、この1999年秋の福島開催は極め付けの荒れ馬場の下で施行され、開催最終日の福島記念(勝ち馬はポートブライアンズ)の勝ちタイムは2分4秒6と、同じく極悪馬場だった前年の同重賞よりもさらにコンマ6秒遅かったのである。「晩秋の福島開催と言えば極悪馬場」、という印象を未だに抱く筆者だが、近年の福島は馬場が綺麗になり過ぎて少々物悲しさすら感じている今日この頃である。

さて、厩舎一押しの期待馬であったヘッドシップも、2000年を迎え旧馬齢表記で7歳馬となった。すでにデビュー5年目のシーズンながら、未だ500万下条件を抜け出せずにいた彼だったのだが、同年5月に2勝目と同じ条件で3勝目を挙げたあたりから俄然やる気を出し始めた。

「何がどうって、はっきりは言えないんだけどね。やっと勝たねばいかんと思ってきたみたいなんだ。さすがに考えてくれたんじゃないの、7歳になって(坂井騎手:談)」

たとえ高齢であろうとも、競走馬という生き物はきっかけさえあれば短い期間で一変するものだ。900万下条件への昇級戦では惨敗を喫したが、同年9月末の九十九里特別(中山芝2500m)を坂井騎手の好判断でハナ差勝ち。体質的にもパンとして良化が窺えたヘッドシップは、勢いに乗って10月の父内国産限定GⅢ・カブトヤマ記念(福島芝1800m)に格上挑戦した。これまでの4勝のうち2勝は福島競馬場で挙げた勝利であり、休み明けでの1戦以外9戦全てで掲示板に載るなど、福島の水はヘッドシップにとって馴染み深い。与えられたハンデが50kgと軽量だったことから、鞍上は当時49歳の坂井騎手から26歳の高山騎手にスイッチした。男7歳ヘッドシップ、通算53戦目での、嬉し恥ずかし重賞初挑戦である。

ミレニアムイヤー、13頭立てのカブトヤマ記念。注目は目黒記念勝ちがあり、前年暮れのグランプリであわやの競馬を見せた8歳牡馬のゴーイングスズカ……というよりその鞍上の芹沢純一騎手であった。何しろ、同騎手は1993年以来カブトヤマ記念に5回騎乗し、全て2着という珍記録を持っていたのである。実績断然のゴーイングスズカに騎乗して雪辱を期す芹沢騎手。しかし、愛馬に課せられたハンデはメンバー中最も重い57.5kg。「ハンデ頭が勝てない(1982年のジュウジアローまで遡る)」カブトヤマ記念としては非常に縁起が悪かった。そんなファンの半信半疑な思いが、単勝オッズ3.9倍に表れていると言えよう。一方、7歳秋にしてようやく本格化したヘッドシップは、福島巧者&ハンデ50kgの好条件でありながらも、単勝18.5倍の9番人気に過ぎない。この評価には、鞍上の高山騎手が今まで重賞で馬券に絡んだことすら無い、という点も影響していたのであろう。

良発表ながらも、まるでダート並みの荒れ馬場。この悪条件でハナを切ったのはランフォーエバー産駒のショーザランニングであった。前半1000mが1分1秒8と、先頭を行く同馬と大西直宏騎手は絶妙なペースを刻む。しかし、1番人気のゴーイングスズカと4番人気のメジロサンドラが好位から早め先頭の競馬を試みたため、荒れ馬場を押し切るパワーと急流を乗り切るスタミナが共に欠けている逃げ馬は堪らず4コーナーで脱落。直線入口でレースは先行馬2頭の争いの様相を呈した。

ゴーイングスズカはダイナガリバーの仔、そしてメジロサンドラはメジロマックイーンの娘である。揃いも揃ってパワー&スタミナが十分な血統だ。福島の短い直線において、実績も実力もある2頭は必死に粘り込みを図った。やがてメジロサンドラが失速し、ゴーイングスズカが芹沢騎手の夢を乗せて(?)先頭に立ったが、荒れ馬場を考慮して高山騎手が終始外を回していたヘッドシップが、残り100mというところで大外から一気に突っ込んできた。やがて態勢は一変。ゴール板を過ぎる頃には外のヘッドシップが3/4馬身ほど前に出ていた。8歳のGⅡ馬を、7歳の条件馬が凌駕してしまった瞬間であった。

福島競馬の面白さ、加えてハンデ戦の妙というものを嫌というほど見せつけた一戦となった。初重賞制覇の高山騎手は、「自分自身にとっても初めての重賞ですから、本当に嬉しいです」と感無量の様子。ルーキーイヤーにある程度脚光を浴びながらも、今や下位騎手の立場に追い込まれていた高山騎手。溜まりに溜まった鬱憤を、福島の地にて彼は最高の形で晴らすことが出来たのだった。アジュディケーターで制した1995年の京成杯3歳S以来に重賞奪取が叶った佐藤全師も、「高山も上手く乗りました」と愛弟子を手放しで称賛した。13頭中9番人気でのローカルGⅢ制覇は、かつて穴男として人気を博した高山騎手にとって、最も“らしい”戴冠の条件であったと言えよう。

7歳でカブトヤマ記念を見事制覇した後、余勢を駆って福島記念に出走したヘッドシップであったが、ゴーイングスズカの逆襲に遭い4着に敗れた。とは言え、ハンデ53kgで真っ向勝負の末に4着、という内容だったので、悲観すべき結果では無い。したがって中央場所ならともかく、時計の掛かるローカル重賞ならまだまだ活躍が見込めたはずであった。しかしすでにお釣りは残っていなかったようで、この福島シリーズ以降8走したものの、掲示板にすらただの1度も載れず、加えてシンガリは3回と不振を極めてしまい、2002年2月のオープン特別・白富士S(14頭立ての14着)を最後にヘッドシップは登録を抹消された。

引退後は東京都世田谷区の馬事公苑で乗馬として長らく供用され、その後山梨県立北杜高等学校馬術部へと移っている。2015年現在も乗馬登録が残っているので、未だ健在ということで間違いあるまい。一方、ヘッドシップの恩師である佐藤全弘調教師は定年まで10年残しながらも、成績低迷により2013年1月に廃業。重賞制覇のパートナーだった高山太郎騎手も前述したようにすでに騎手を辞めている。また、同馬主のワシントンカラーは引退後種牡馬入りしたものの鳴かず飛ばず。して同馬は現在消息不明という。「一寸先は闇」とはよく言うが、競馬界における後先というものは本当に予測のつかないもの、と私は思わずにはいられない。福島の秋空の下、極め付けの荒れ馬場を突っ切って、デビュー53戦目にして初めて重賞タイトルを得たヘッドシップは、今後どんな道行きを辿り、どのような驚異を見せてくれるのであろうか?

ヘッドシップ -HEADSHIP-
牡 栗毛 1994年生
父アンバーシャダイ 母ヒダクロス 母父ファバージ
競走成績:中央62戦5勝
主な勝ち鞍:カブトヤマ記念

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